残心も技の内と言う解釈 | NeoMackey_ITpro&古武道のブログ

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残心も技の内と言う解釈を我々は西代で指導受けておりました。技以外の残心等に後輩諸氏から質問受けるので、多い質問に対して昨年もお答えした物ですね、自分でも時々振返ら無いと技その物以外は忘れがちになります。
 残念なのは、知らなかったから立居振舞いが出来ていないのはしょうが無い所も有ります。しかし武道ではわざが重視され過ぎその部分に腐心するばかりで道の一部が失伝する事です。
 逆にこういった技以外の事柄ばかり取り上げて重要視し過ぎて手順とカタチだけの形骸化した作法に成っても勿体無いだけです。
 最も駄目なのは、一緒に先師から指導を受けていたに関わらず、礼法、立居振舞、道着の話、膝行方法等、習っていた事を、自分の好みで勝手に廃止したり、最悪時、先生はそんな事を言ってなかったと平気で自分勝手な論理にすり替えて、他者に喧伝したりする事です。
 武道をする者は往々にして、技術的部分に目がいき、それ以外の一見、作法的に見える事は煩雑で、技と無縁と考えると、悪しき表現では脳みそ筋肉タイプは軽視して、深く考えずテキトウに行ったり、最悪勝手に割愛したりします。残念な事ですが運動部系の指導者にはよく見られます。
 最も悪質なのは、自分一人が実は正統後継者だとのたまわるタイプに見られますが、様々な嘘をまことしやかに話し、悪知恵か働く高学歴者に居るのがまた残念な現実です、見た目が善人に見えるのも、詐欺師程身なりが良くて普通に見えると言うのと同じです。この輩は師の恩など心底では微塵も感じず、ライバルの脚を引っ張り、策を弄する事に腐心します。
 先師が伝えた事に、試行錯誤して、深みを付ける事は大事です、成長の過程で行うべきとも思います。しかし教わった事を全く否定したり、そんな話は無かったとしてしまうのは人としても真がおけず技術も疑わしく思ってしまいます。
形はそのまま覚え、そこに深みを考えるのは可でしょう!精神も含めての形です。