すずきふみよしの「星の音を聴く」 -11ページ目

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

サビアンシンボルは
天秤座23度「雄鶏の声が日の出を告げる」

このシンボルのキーノート(基調)は
「生命過程への創造的で喜びに満ちた反応」

きょうはどんな日?
ものごとの変化や違いが生じたことに対する敏感な反応が期待でき、それを表に示すことが公益に結びつくときです。

広く公益に与する制度や設備の有効利用が、弱者への配慮や救済を目的としてあくまでも自発的になされるときというのがきのうでした。純粋な好意から、単なる親切心からの気配りが、しかるべき対象に注がれる。その際におのずと公共のためになることを目的とした制度や設備などの有効利用が実現されるだろうという具合でしたが、自分より弱い存在に目は向けられたでしょうか。きょうは周囲の変化に目が向くでしょう。

自分とは異なるタイプの人たちと積極的に接触してみたおととい。自分よりも脆く弱い生命に配慮したきのう。一見まるで関係のなさそうな二つの行動に通じているのは、自分と相手との違いを前提に認めたうえでの両者の成長ということです。相手の存在を通じて自分が成長していく。それは見かけ上自分が保護的に振る舞っているきのうの行動もおとといと同様ですし、また同時に相手の側にも成長があるわけです。シンボルに描かれている雄鶏は日の出という現象――新しい一日がはじまったという変化に反応し鳴き声を上げています。その声でまた朝がやってきたことを知る人もいれば、一日のはじまりの目安にしている人さえいるでしょう。しかし雄鶏自身が新しい一日をもたらしたわけではないのです。自分と相手の成長という変化を、広く人々に知らしめる存在。雄鶏が表しているものはそうした存在です。きょうは自己主張をするよりは周囲の変化を察知しての行動のほうが望ましいでしょう。とはいえあちらを向きこちらを向いて右顧左眄を繰り返す雄鶏は風見鶏と呼ばれてしまいます。また自分は変化に乗じているだけで、その変化を生み出したわけでもなければなにかをつくり出したわけでもありません。もろもろの意味で勘違いに注意してください。非常に〈星まわりのわるい〉奇想や悲惨な慢心やなんの役にも立たない大言壮語が湧き出してくる傾向が見られるときでもあります。周りへの共感を優先したほうがよさそうです。
サビアンシンボルは
天秤座22度「噴水で鳥たちに水をやる子ども」

このシンボルのキーノート(基調)は
「生命の更新を渇望するあまり進化していない存在の繁栄と幸福への、素朴な魂の懸念」

きょうはどんな日?
広く公益に与する制度や設備の有効利用が、弱者への配慮や救済を目的としてあくまでも自発的になされるときです。

意見や思想を異にする人たちと積極的に親睦や交流を図り虚心坦懐に語りあうことが求められるときというのがきのうでした。海の前ではだれしもが童心に返って心を開き、腹を割って話しても咎められないように、母なる存在や環境のもとで、自分とは異なるタイプの人たち相手に自分の中身を開いて見せてみようという具合でしたが、自分を差し出すことはできたでしょうか。きょうはさらにある種の献身的な態度が求められます。

ノーリスクのリターンなどあり得ないように、自分の中身を開いて見せて自分自身を差し出す姿勢がきのうには求められました。親睦や交流を図ること、出会いをもつこと自体が目的だったとも言えるわけですが、きょうはもっと介入の度合いが深くなっていきます。シンボルに描かれている子どもはただ純粋な好意から鳥たちに水をやっていますが、これは自分よりも脆く弱い生命への、養育的で慈愛に満ちた態度というよりは、単なる親切心からの気配りなのです。また、噴水はきのうの海とは異なった人工的な湧き水ですが、鳥たちの渇きは海水では癒やされません。そしてそこには噴水を設計しつくった人の意志――公益に利するという目的が確実に存在しているわけです。きょうはこのように、広く公共のためになることを目的とした制度や設備などを有効に利用することをかんがえてみてください。そしてそれはおのずと、お節介にも弱き他者のために使うという方向での利用に転換されていくことでしょう。鳥たちは少なくとも水が欲しいと子どもに乞うたわけではなく、両者の関係は自発的なものだからです。一過性の束の間の評判や人気を求めて薄っぺらく表面的な見せかけの努力を展開する傾向が見られるときでもあります。求めるならばもっと不朽のものをめざしてみましょう。
サビアンシンボルは
天秤座21度「海岸を楽しむ日曜の人々」

このシンボルのキーノート(基調)は
「自然の母性的な力や社会的な連帯感との新しい命を吹き込むような接触」

きょうはどんな日?
意見や思想を異にする人たちと積極的に親睦や交流を図り虚心坦懐に語りあうことが求められるときです。

自分も含めて多くの人々がたどってきた道のりを振り返り自身の限界を受容することで他人へのより深い理解を求めたいときというのがきのうでした。虚脱や停滞のなかで前日の行動を振り返ってみる。前例があるかどうか検証してみて、多くの人々がとおってきた道を自分がとおっているか確認してみる。現在の自分の位置を歴史上で相対的に把握することが他人への、先人たちへの、仲間への理解につながるだろうという具合でしたが、自分の自信は得られたでしょうか。きょうは大いに人との交流を求めてみましょう。

仲間へのより深い理解は、彼らが自分の〈同志〉であるという実感をさらに強固なものにしてくれるという意味で自分自身を力づけてくれるものになり得ます。そうした連帯感が自分の自信へと育っていく側面が、きのうの反省作業には含まれていたわけです。その仲間への理解をもたらしたものは自分の歴史上での位置確認でした。きょうはもう少し視野を小さめにして、しかし、自分とは異なるタイプの人たちと積極的に接触するようにしてみてください。シンボルに描かれている海岸はたくさんの人たちが集まる場、出会いの場を表しています。海は「母なる海」という言葉もあるとおり、ここでは母性の象徴です。海の前ではだれもが童心に返って心を開き、腹を割って話しても咎められないはずです。そのような交流を追求してみてください。相手を受け入れようとか寛容であろうとかいうよりは、相手に自分の中身を開いて見せることが大切です。ぶっちゃけるようであってもけっして礼を失することのないように注意してください。実際に本当に海や屋外など、自然の解放感が得られるようなロケーションを求めて設定してみてもよいでしょう。自分自身のすべてを一切差し出す意欲もなしに他人にどう見られるかばかり意識して充足を求める傾向が見られるときでもあります。ノーリスクのリターンなどはあり得ません。
サビアンシンボルは
天秤座20度「自分の職務を遂行するラビ」

このシンボルのキーノート(基調)は
「自身の同胞に仕えひらめきを与えるために先祖の伝統的な力を利用する能力」

きょうはどんな日?
自分も含めて多くの人々がたどってきた道のりを振り返り自身の限界を受容することで他人へのより深い理解を求めたいときです。

志を同じくする者たちが大勢の集団となって結託し、みずからの信念に基づいて行動をともに起こすときというのがおとといきのうでした。同志と一緒に行動しよう。いなければ募るくらいのことをしてみてもよいだろうしその行動自体が態度表明にもなるという具合でしたが、異議申し立てはできたでしょうか。きょうは振り返って反省してみましょう。

信念に基づいて行動を起こすにしても、そこでさらなる衝突が生じることもあったかもしれません。10日木曜日は衝突を招かざるを得ない関係性のなかに否応なしにとり込まれる可能性がありそこで信念が問われたわけですが、覚悟を決めてあらためて行動したところでまた衝突してしまうことも予想されます。そうでなくても全般的に虚脱状態であったり停滞ムードが漂っているとおもわれますが、そのなかできのう起こした行動を振り返ってみましょう。信念をもっての行動ですから悔いはないでしょうし少なくとも自分は間違っていないとかんがえているでしょうが、検証のポイントはすでに前例があるかどうかです。先人たちがやってきたことをたどっているかどうか。これはけっして否定的な見方ではなく、むしろ前例があったほうが望ましいのです。前人未踏の領域に進んでいることよりも多くの人がとおってきた道を自分がとおっていることのほうがきょうは重要です。その確認をしてみましょう。現在の自分の位置を歴史上で相対的に把握するということ。そしてその把握こそが他人への、先人たちへの、そして仲間への理解につながるのです。その一方できわめて不健全で有害な優越感を抱く傾向が見られるときでもあります。正しく把握しましょう。
サビアンシンボルは
天秤座19度「潜伏中の窃盗団」

このシンボルのキーノート(基調)は
「不調和な社会的特権への異議申し立て」

きょうはどんな日?
筆者の都合により大変申し訳ありませんが、本日は休載とさせていただきます。
あしからずご了承ください。
サビアンシンボルは
天秤座19度「潜伏中の窃盗団」

このシンボルのキーノート(基調)は
「不調和な社会的特権への異議申し立て」

きょうはどんな日?
志を同じくする者たちが大勢の集団となって結託し、みずからの信念に基づいて行動をともに起こすときです。

衝突を招かざるを得ない関係性のなかに否応なしにとり込まれる可能性があり、その帰結に直面することで信念が問われるときというのがきのうでした。なにかことを成そうと決意を胸にして歩みはじめたとき、つまずきや衝突が生じるかもしれない。せっかく新たにはじめてみたところに、以前から懸案だった問題を突きつけられるかもしれない。いずれにしても、それでもどうしてもやらざるを得ないと言えるかどうか自問してみようという具合でしたが、覚悟は決まったでしょうか。きょうは行動を起こしましょう。

信念が問われる状況というのも大変厳しいものですが、それを経たいま恐れるものはありません。腹が据わったところで目的に向かっていきましょう。シンボルに描かれているのは反社会的な集団ですが、実のところきょうはそうした活動にも大変親和性のあるときです。しかしなにも犯罪を推奨するわけではありません。むしろ用心してください。自分の意志にかかわらずトラブルに巻き込まれる可能性も示唆されます。最大限の注意を払いましょう。きょうのポイントは集団で動くことです。信念に基づき目的に向かうにしても、志を同じくする仲間、つまり同志と一緒に行動したほうがよいでしょう。いなければ募るくらいのことをしてもよいかもしれませんし、その行動自体が自分の態度表明にもなるはずです。デモや抗議行動などには最適の日であると言えます。きのうなんらかの〈結論〉に直面したのであれば、それへの最も誠実な反応を公に出していきましょう。重要な価値のあるありとあらゆるものに対して常軌を逸するほどの不信を抱く傾向が見られるときでもあります。味噌と糞の違いぐらいは見極めるようにしましょう。
サビアンシンボルは
天秤座18度「逮捕された二人の男」

このシンボルのキーノート(基調)は
「個人と社会とのあいだの建設的な関係、および期待できる結果の崩壊」

きょうはどんな日?
衝突を招かざるを得ない関係性のなかに否応なしにとり込まれる可能性があり、その帰結に直面することで信念が問われるときです。

闘争やそれに付随する勝利の追求から身を引いた穏やかな追想と内省を通じて、新たな企てへの力を蓄えておきたいときというのがきのうでした。過去の成功の想い出や失敗の反省などを振り返ることで他人への深い共感と理解が養われる。そうした時間のなかでこの先の展開へ臨む力も生まれてくるという具合でしたが、ゆっくりと時間はとれたでしょうか。きょうはなんらかの〈結論〉に直面する可能性があります。

秋分以降の半月、自分を世にさらけ出してきたなかで傷ついた自分の心を補修しておく。そのうえで、穏やかな追想と内省からこの先への力を蓄える。しかし、早くもその力を用いて乗り越えなければならない難局が訪れるかもしれません。シンボルに描かれている二人の男は、単なる犯罪者ではなくてある種の信条に基づいた確信犯です。政治的なり美学的なりなんらかの思想があって引き起こした行動が、現今の社会が規定する法体系の秩序と相容れない状態。逮捕という社会からの隔離と拘束のなかで男たちはみずからの行動を一切悔いてはいません。この状況下で問われているのは自分の信念なのです。なにかことを成そうと決意を胸にして歩みはじめたとき、つまずいてしまったり、他人と衝突してしまったり、なんらかのケチがつくような事態が生じた場合に最も必要とされるのは貫徹する信念です。そしてきょうはとくに、せっかく新たにはじめてみたところに、以前から懸案だった問題を突きつけられることも予想されます。この先に進むためには片づけなければならないことですからしっかりけりをつけておきましょう。そして、それを実行するうえでももちろん信念が必要なのです。男が二人描かれているのは信念を自問する可能性の象徴です。自分は単なる無茶でやっているのではなく、衝突せざるを得ないけれどもそれでもどうしてもやらざるを得ない――そうきっぱりと言えるかどうか、大いに自分に問うてみてください。総じて衝動と行動においてまったくの不適切さが目立つ傾向が見られるときでもあります。自分自身をよく見極めましょう。
サビアンシンボルは
天秤座17度「引退した船長が港に出入りする船を見つめている」

このシンボルのキーノート(基調)は
「人がかつて深く関与した人間的体験への客観的で穏やかな理解を得る受容能力」

きょうはどんな日?
闘争やそれに付随する勝利の追求から身を引いた穏やかな追想と内省を通じて、新たな企てへの力を蓄えておきたいときです。

精神の平衡を保つために無意識の力を利用しながら心に補修を施し、今後の展開に備えておきたいときというのがきのうでした。秋分以降の半月、自分を世にさらけ出してきたなかで傷ついた自分の心を補修しておく。ただ放っておけばもとに戻るわけではないので進んで修理するようにしようという具合でしたが、精神的に安定する材料をうまくとり込めたでしょうか。きょうはおのずと視点が変わっていくでしょう。

きのうの〈補修〉が成功したかはさておいて、気持ちは落ち着いた状態でいられることでしょう。きのうは天候はともかく嵐の爪あとの生々しさが強く残っていましたが、きょうは穏やかな海のような心持ちが広がっているとおもいます。シンボルに描かれている引退した船長は、かつては船を操り、激しい波間を切り抜けてきたこともあれば静かな水上をのんびりと行き交いもした人物です。自分の経験から培われたたしかな眼力をもち、多くの困難を乗り越えてきた自信がそれを支えています。出入りする船を見つめる目は、けっして厳しいばかりではありません。彼もまた往年の航海では波風に打たれてたくさんの傷を負い、心のなかの乗組員の反乱も経験してきたからこそ、他人への深い共感と理解をもちあわせているのです。そして彼は船を見つめながら自分の過去を振り返っています。成功の想い出、失敗への反省、さまざまな気持ちが心のなかを去来するとき、彼は体験から学んだことを学ぶ大切さを理解します。きょうの自分の心情や置かれている状態が、引退した船長の側であろうと出入りする船の側であろうと、このような二重の視線を意識せざるを得なくなるでしょう。しかしこの二重性のなかでの穏やかな平衡状態こそが、この先の新たな航海の活力となるのも事実なのです。なるべくなら静かな環境に身をおいてゆっくりと内省する時間をとるようにしてみてください。ただし、過去の達成や業績について非常に無意味でのらくらとしたなにも生み出さない熟視を続ける傾向が見られるときでもあります。できるだけ生産的な方向に転じましょう。
サビアンシンボルは
天秤座16度「嵐のあとでボート乗り場が再建を必要としている」

このシンボルのキーノート(基調)は
「広大な無意識と自我意識とを一定してリンクし続ける必要」

きょうはどんな日?
精神の平衡を保つために無意識の力を利用しながら心に補修を施し、今後の展開に備えておきたいときです。

規則正しく反復的な日常生活のパターンに自分を同調させることで精神の平和と知の発達を求めたいときというのがきのうでした。日常生活のなかでいつも同じように繰り返されていることがらやルーティーンワークへと、より意識的に自発的に自分をあわせていくようにしてみる。一定の型にあえて当てはめていくことでいつもより多めに自分を律して日常に戻るようにしてみようという具合でしたが、心身のリズムは整えられたでしょうか。きょうは精神面でより安定した方向へ自分を整えていきましょう。

秋分の際には「この半月のテーマは〈変容〉」だと述べました。春分からの半年間の個性化のプロセスを踏まえ、半年間で培ってきたものを大きく世の中へ打ち出していく。自分というものをさらけ出して世に問うその様子を芋虫が蝶へと姿かたちを変える様子になぞらえましたが、そもそも世に自分をさらけ出すこと自体がとても過酷なことです。あえて自覚して世間の荒波に揉まれてみるような半月だったとおもいますが、そのまとめがきのうのような、規則性を自分の心身にとり入れてリズミカルな日常をつくっていくことだったわけです。きょうは、その荒波で傷ついた自分の心を〈補修〉しておきましょう。シンボルには嵐で荒廃したボート乗り場が描かれています。ボートというものは通常は離れた地域をつなぐものであり、あるいは食料を海中から引き揚げる役目を果たすものでもあります。海はしばしば無意識の象徴ですが、私たちはその上層の表面を平和に穏やかに行き来して生活して、時折自分の都合のよいものだけ〈海中〉からとり出して搾取しているわけです。そのバランスが失調してしまっている状態がここでは示されています。変容を遂げて世に自分をさらけ出したところ、穏やかな海上の交通ばかり実現できるわけでもなく、自分本位の水産資源の利用ばかり追求できるわけでもなく、厳しい現実に直面し続けてきた半月間ののちの様子。これをどうにか原状回復しておきましょう。放っておけばもとに戻るというものではありませんから進んでの修理が必要となります。精神的に安定する材料を積極的にとり込むようにしてみてください。まったくなにも行動しないことについての弁解として失敗や挫折による落胆を挙げ、それによって欲求不満が募る傾向が見られるときでもあります。繰り返しますが休んでおけばどうにかなるわけではありませんから修復する行動を起こしましょう。

またこの先半月のテーマは〈再構築〉です。世にさらけ出したあとの自分をつくり直すこと。あらためなければならないこともたくさんあるはずでしょうが、まずは差し当たりもとに戻しておきましょう。
サビアンシンボルは
天秤座15度「環状の小道」

このシンボルのキーノート(基調)は
「社会活動の一定のリズムを確立する必然性と折り合いをつけること」

きょうはどんな日?
規則正しく反復的な日常生活のパターンに自分を同調させることで精神の平和と知の発達を求めたいときです。

努力の報償として得られる充足を休息という形態で満たし、日常生活を正しくするために英気を養っておきたいときというのがきのうでした。余計な付加価値はまったく勘定に入れず純粋に休むことに専念してみる。強いて目的めいたことを挙げるとしたら、自分一人での楽しみ方を確立するべく、他人への依存からの脱却をめざしてみようという具合でしたが、自分をもて余すことなく一人で休めたでしょうか。きょうは心機一転でまた新たに頑張っていきましょう。

特段なにを目的にすることもなくただひたすら休むということが〈目的〉だというなかば矛盾したような側面もありましたが、ともあれ休息が実行できたのであればきょうは積極的に活動することへ転じましょう。その際に必要なのは規則性です。日常生活のなかでいつも同じように繰り返されていることがらやルーティーンワークはだれしもが抱えているものだとおもいますが、より意識的に自発的にそれに自分をあわせていくようにしてみてください。きのうの〈なにもしないをしていた自分〉を一定の型にあえて当てはめていく。無目的な休息だったとはいえ日常生活を正しくするために英気を養ったのですから、ここで少しいつもより多めに自分を律して日常に戻るようにしてみましょう。休み明けの月曜日、きっちりとしたことをしっかりこなすようにして緩んだ自分を締め直してみてください。いつもと同じことにとり組むにしても、そのような気構えの違い次第で再発見さえあるかもしれません。いつもと同じ道をまた通るにしても、その時々で景色が違って見えることもあるでしょう。一方で思考が堂々巡りに陥りがちで、実にとるに足らないつまらないもののなかで先の見通しを見失ってしまう傾向が見られるときでもあります。足元にはしっかりと注意して躓かないようにしましょう。