ロックとアート、表現者である事の苦悩。
忌野清志郎さん、ピカソ風アレンジバージョン↑。
ジョン・レノン↑
ブルース・スプリングスティ―ン↑
転石楽団ボーカリスト、永遠の憧れ、まっく…もとい、ミック・ジャガー↑
趣味で絵(イラスト)を描くのだが、モチーフは、人物である事が多い。
それも有名人。それも、アスリートや、ミュージシャン。
(※今回はアスリートは割愛させていただき、ミュージシャンのみとさせていただきました)
ストーンズのロニー・ウッドも絵を描く。
ロックとアート。
一見、接点がないように感じるが、「表現者」という点では、アートだろうが、音楽だろうが、手段の相違だけで、共通し、似通った部類のモノなのだろうと思う。
「表現する」、という部分においては、「依頼を受けて職業的にこなす」、「注文に沿うような作品」を作る、という感覚が入りすぎると、なかなか、研ぎ澄まされた個性がすり減ってしまう。
だから、素人や、子供が描くような、無垢で、只々自分の楽しみのみを自由に全面に出した作品はすばらしいのだろう。
自分は、イラストや絵で食っているわけではないので、気楽に描く事ができる。
職業画家や、イラストレーターの人は大変だろうなあ、とも思う。
金を頂いた瞬間に、「作品」は「商品」に変わる。
好き勝手に表現した作品が、商品に変わるなら、そんなに楽しい事はない。
先日、冒頭の画像でモチーフにした忌野清志郎さんの特番で、爆笑問題の太田光が、「年を重ねて鈍感になれたら楽なんだけど、子供のような心で敏感でいないと、表現者としては、落ちていくって事だからね。それは辛い事だよね。」と言っていた。
表現する事を放棄して、金に走る位なら...
手術をして、生きながらえても、自分の表現の武器である声帯を失う位なら…
この世から消えても本望と言わんばかりの清志郎さんの潔さは、いつも眩しい。
でも、愛する者を残して、あまりに早すぎやしないかい? とも思ってしまう。
人生、突っ走った後の「オマケ」の部分が長すぎると、ある意味「生き恥を晒す」事になるだろう。
しかし、ポンコツになっても、生き恥を晒しながら、笑って末永く暮らすのも、なかなかハッピーではないか?
今回の記事で、何をどう表現したかったのか、自分でもよく分からないまま、夜はゆっくりと更けてゆく。