浦千鶴子 インストアライブ @ JEUGIA BASIC
本日、ジャズヴォーカリスト浦千鶴子のインストアライブに行ってきました。

ギター:井上丹さん

一部と二部となっていましたが、一部のみ拝聴させていただきました。
最前列で聴いておられたかたが身内の方っぽかったのですが、マネージャーとかとは違った感じで『あの方はどういう?』ってJEUGIA BASIC 店長に訊いていたときにその方が前を通られて『シンガーです』と店長が紹介。
結局、浦さんそっちのけで月一でライブをされているカフェと次に出られる日まで教えて頂きました。
お名前は『こはる』さんと仰るようで、本日のギターの先生とDuoでのライブが中心のよう。
会場のカフェ自体もそれほど大きな器ではないようですが、ピアノも据え置きされているらしい。
浦千鶴子、全然悪くなかったですよ。
今回のインストアライブと同じく演奏形体のCDのよう。
歌も上手かった。
CDのジャケットは詐欺というか、女性の『化けらった』の力は凄いというか、今日を手を抜きすぎたというか。

ギター:井上丹さん

一部と二部となっていましたが、一部のみ拝聴させていただきました。
最前列で聴いておられたかたが身内の方っぽかったのですが、マネージャーとかとは違った感じで『あの方はどういう?』ってJEUGIA BASIC 店長に訊いていたときにその方が前を通られて『シンガーです』と店長が紹介。
結局、浦さんそっちのけで月一でライブをされているカフェと次に出られる日まで教えて頂きました。
お名前は『こはる』さんと仰るようで、本日のギターの先生とDuoでのライブが中心のよう。
会場のカフェ自体もそれほど大きな器ではないようですが、ピアノも据え置きされているらしい。
浦千鶴子、全然悪くなかったですよ。
今回のインストアライブと同じく演奏形体のCDのよう。
歌も上手かった。
CDのジャケットは詐欺というか、女性の『化けらった』の力は凄いというか、今日を手を抜きすぎたというか。
新風館 Blue Note vol.8
昨日のこと。
瀬戸山智之助 presents 『Blue Note vol.8』ということで新風館へ。
毎回異なるアーティストを集めて催されているこの企画。
今回は女性アーティスト3名。



小林未奈さん。
京都・大阪を中心にときどき東京へ行かれているらしい。
お気に入りしそう。
私の今の心情に突き刺さった曲がひとつ。
二部構成だったので一部は泣かされたけど、免疫が出来た二部目は大丈夫って思ったけどやっぱり泣かされた。
他にも優しくよりそうような曲、絵本やNHKの『みんなのうた』にインスパイアされて出来た曲もあるようで私としては良かった。
フライヤーの文をそのまま載せると
記
赤いギターとストレートに歌う。
ピュアなメロディと歌詞は唯一無二の世界観。
聴く人の心に訴えるその声は
大衆に向けてではなく、一人一人に向けて。
以上

愛知県から遥々お越しいただいた岩田綾奈さんとサポートの方。
サポートの方名前は忘れましたが個人とユニットでも活躍されているらしい。


若林美樹さん。物販は一番スペースをとってCDも沢山の種類があったような。
歌っているときにも笑顔ができるのは素敵ですね。
瀬戸山智之助 presents 『Blue Note vol.8』ということで新風館へ。
毎回異なるアーティストを集めて催されているこの企画。
今回は女性アーティスト3名。



小林未奈さん。
京都・大阪を中心にときどき東京へ行かれているらしい。
お気に入りしそう。
私の今の心情に突き刺さった曲がひとつ。
二部構成だったので一部は泣かされたけど、免疫が出来た二部目は大丈夫って思ったけどやっぱり泣かされた。
他にも優しくよりそうような曲、絵本やNHKの『みんなのうた』にインスパイアされて出来た曲もあるようで私としては良かった。
フライヤーの文をそのまま載せると
記
赤いギターとストレートに歌う。
ピュアなメロディと歌詞は唯一無二の世界観。
聴く人の心に訴えるその声は
大衆に向けてではなく、一人一人に向けて。
以上

愛知県から遥々お越しいただいた岩田綾奈さんとサポートの方。
サポートの方名前は忘れましたが個人とユニットでも活躍されているらしい。


若林美樹さん。物販は一番スペースをとってCDも沢山の種類があったような。
歌っているときにも笑顔ができるのは素敵ですね。
阪井楊子and宮藤晃妃 インストアライブ
11月15日のこと。
丁度1週間前にJEUGIA BASIC(旧四条店)に寄ったら、「是非来てもらいたい」と店長に言われて、のっぴきならない用事もなかったので確約しての当日。
店長とは長い付き合い、といっても客と店側の立場ですが、20年以上前から続いてる。
途中、疎遠になった時期もあったけれどというのは、交通手段が自家用車しかなかったころ駐車場代金がもったいなくって駐車料の掛からないCDショップを探していた時期があったから。
ここ最近足繁く通えるのは、歩くことを趣味のようにしたことと、とあるアーティストのライブ会場で偶然お目にかかったから。
共通のアーティストということは、嗜好が合うかもってことで、薦めてもらったアーティストというかCDに外れはない。
今回はもしかしたらお客さんが集まらないかもって危惧されていたので一肌脱いだって感じ。
まぁ、去年の大津ジャズフェスでも拝聴しその時にCDも購入したアーティストだし、阪井楊子さんの3rdアルバムも悪くなかったしね。


宮藤晃妃さん。


阪井楊子さん。
丁度1週間前にJEUGIA BASIC(旧四条店)に寄ったら、「是非来てもらいたい」と店長に言われて、のっぴきならない用事もなかったので確約しての当日。
店長とは長い付き合い、といっても客と店側の立場ですが、20年以上前から続いてる。
途中、疎遠になった時期もあったけれどというのは、交通手段が自家用車しかなかったころ駐車場代金がもったいなくって駐車料の掛からないCDショップを探していた時期があったから。
ここ最近足繁く通えるのは、歩くことを趣味のようにしたことと、とあるアーティストのライブ会場で偶然お目にかかったから。
共通のアーティストということは、嗜好が合うかもってことで、薦めてもらったアーティストというかCDに外れはない。
今回はもしかしたらお客さんが集まらないかもって危惧されていたので一肌脱いだって感じ。
まぁ、去年の大津ジャズフェスでも拝聴しその時にCDも購入したアーティストだし、阪井楊子さんの3rdアルバムも悪くなかったしね。


宮藤晃妃さん。


阪井楊子さん。
WINTER LIVE <RINO(りの) 粧(めい) 他>
11月15日のこと。
時系列的には、『そんな時期に何しに行ってんねん』ってとこですね。
気が急いても離れててすることないし次に揚げる予定の記事は約束されてもいたことなのでそれまでの時間潰し、というか表に出てないとそれこそ『何もしなくていいのか?って自問しながら「イライラ、モヤモヤ」が募ってしまう』。
ということで新風館へ。


化粧の『粧』と書いて『めい』さんらしい。
パワフルなダンスと、歌唱でした。



RINO(りの)さん。
CDを購入しようかと思いましたが、この先の旅費運賃宿泊費等雑費を考え控えさせていただきました。
次の機会がありましたら、またその時考えます。
他、二組の演者。
ごめんなさい、日が経ち過ぎたか記憶にない。
時系列的には、『そんな時期に何しに行ってんねん』ってとこですね。
気が急いても離れててすることないし次に揚げる予定の記事は約束されてもいたことなのでそれまでの時間潰し、というか表に出てないとそれこそ『何もしなくていいのか?って自問しながら「イライラ、モヤモヤ」が募ってしまう』。
ということで新風館へ。


化粧の『粧』と書いて『めい』さんらしい。
パワフルなダンスと、歌唱でした。



RINO(りの)さん。
CDを購入しようかと思いましたが、この先の旅費運賃宿泊費等雑費を考え控えさせていただきました。
次の機会がありましたら、またその時考えます。
他、二組の演者。
ごめんなさい、日が経ち過ぎたか記憶にない。
姉について
三つ上に姉がいました。
そう、過去形です。
去る10月3日、姉として登録していた携帯電話の番号からcallがあり、何だろうと出てみると男性の声で『○○です』嫁ぎ先の名字を名乗られ、あぁご主人の番号も一緒に姉の名前で登録していたのを思い出した。
そして訥々と姉の事について話され始めました。
ちょっとメモをとってくださいとも仰って、時系列的に順を追ってそして最後に、もう手の打ちようがないということで、終の棲みかというか今入院している病院は治療をする病院で、終末医療となると転院することになるとのこと。
そして、『余命2、3ヵ月』であることを9月30日に宣告されたということ、転院する前にでも意識のあるうちに顔を見せてあげて欲しいということを仰られました。
知らせを受けて次の日に朝早くから支度をし新幹線-在来線-東京メトロと乗り継ぎ『国立癌研究センター』へ。
余命のことは本人には話されてなくって、滅多に逢わない私が顔を出せば、敏い彼女なら不味くないって話もしたんですが、結局『もう、死ぬんやなぁ』『どうしよう、どうしよう』、って『どうしよう、どうしよう』って。
まだ頑張れると思って生きてきていた彼女に無言だけど宣告したような気分になってしまった。というか、生きようとする力を奪ってしまったような気分。
2003年9月発症というか、脳腫瘍の発見。
その時入院した病院が偶然当時日本に2台しかないγナイフを保有していた病院で、楽観的な私はそこで綺麗に切除出来たものと思っていましたが、12年闘病生活が続いていたのですね。
当月12日になくなったというレタックスが13日夕に届きました。
余命2、3ヵ月と言われていたのにこんなにも早まったのは、やはり私の行いかと思わずにはいられないところです。
そして今日、極近親者のみの告別式となりました。
姉の思い出は、私が産まれたときから両親と同じくずっと一緒いた家族。所謂核家族の1単位。
三つ違いってことで私が小学校に入学すれば、手を引いてクラスまで送ってくれてから四年生のクラスに行ってくれるような姉で、姉の同級生からは『○○の弟って誰や』とか『お前か○○の弟って』なんてこともあり、中学校に入れば又『○○君のお姉さんが僕の兄貴と同級で勉強を張り合ってたらしいけど勝てへんかったから、兄貴の仇を弟が打てって言われてきた』とか。
そして一番大きな影響を受けたのは、きっと音楽の素養。
ピアノの先生が姉に教えに来られていたのを良いことに、両親から私も受けるように促されたというか、ピアノの稽古をしないとお小遣いがもらえないということになってしまい、お陰でピアノの発表会にまで出てしまっていたりしています。
軽くなら譜面が読めるのはその所以?
その後姉は、中学ではピアノは引き続きながらギターを弾き、高校ではマンドリン部に入部。社会人になっても時間を作ってエレクトーンを習いに行き講師の免状も取得したんじゃなかったかな。
ピアノとはまた別にエレクトーンが置かれている部屋からは、練習するための練習というんですか、超絶技巧の運指の練習があったのですが漏れ聞こえる音は凄かった。
私自身エレクトーンには手を出してはいませんが、やはり中学校に上がる頃にはギターを独学してました。
聴いていたアーティストを思い起こせば、ザ・タイガースあたりから始まり確か郷ひろみのファンクラブに入っていたような気がするのですが西城秀樹のレコードもあったけれど、次はTulipを長く愛しながら原田真二や巡恋歌の頃の長渕剛、Queenもかじってたかな?そこから以降はヘッドフォンミュージックで互いに干渉しない音楽嗜好になったかな?
姉が中学生になるまでは、子供部屋で一緒に寝起きしてましたし、その部屋にはピアノが置かれていて、レコードプレイヤーも1台しかなかった。
長渕の頃は、姉は別部屋で1人で寝起きするようになっていた。
何故Queenとかが分かったかと言えばレコードを持って帰ってきたジャケットで。
ただ私が高中正義を聴いていたら、『これ誰の』て訊いてきたからこういう方面も当然嫌いじゃなかったはず。

見舞いに行った病室から見えたスカイツリー。
結局、スカイツリーといえば姉の病室という刷り込み現象が出来上がってしまいました。
そして今日

東京駅で途中下車。

二重橋を見て。

楠木正成(楠正成)銅像。
この写真群も姉を思い出すアイテムになるだろう。
そう、過去形です。
去る10月3日、姉として登録していた携帯電話の番号からcallがあり、何だろうと出てみると男性の声で『○○です』嫁ぎ先の名字を名乗られ、あぁご主人の番号も一緒に姉の名前で登録していたのを思い出した。
そして訥々と姉の事について話され始めました。
ちょっとメモをとってくださいとも仰って、時系列的に順を追ってそして最後に、もう手の打ちようがないということで、終の棲みかというか今入院している病院は治療をする病院で、終末医療となると転院することになるとのこと。
そして、『余命2、3ヵ月』であることを9月30日に宣告されたということ、転院する前にでも意識のあるうちに顔を見せてあげて欲しいということを仰られました。
知らせを受けて次の日に朝早くから支度をし新幹線-在来線-東京メトロと乗り継ぎ『国立癌研究センター』へ。
余命のことは本人には話されてなくって、滅多に逢わない私が顔を出せば、敏い彼女なら不味くないって話もしたんですが、結局『もう、死ぬんやなぁ』『どうしよう、どうしよう』、って『どうしよう、どうしよう』って。
まだ頑張れると思って生きてきていた彼女に無言だけど宣告したような気分になってしまった。というか、生きようとする力を奪ってしまったような気分。
2003年9月発症というか、脳腫瘍の発見。
その時入院した病院が偶然当時日本に2台しかないγナイフを保有していた病院で、楽観的な私はそこで綺麗に切除出来たものと思っていましたが、12年闘病生活が続いていたのですね。
当月12日になくなったというレタックスが13日夕に届きました。
余命2、3ヵ月と言われていたのにこんなにも早まったのは、やはり私の行いかと思わずにはいられないところです。
そして今日、極近親者のみの告別式となりました。
姉の思い出は、私が産まれたときから両親と同じくずっと一緒いた家族。所謂核家族の1単位。
三つ違いってことで私が小学校に入学すれば、手を引いてクラスまで送ってくれてから四年生のクラスに行ってくれるような姉で、姉の同級生からは『○○の弟って誰や』とか『お前か○○の弟って』なんてこともあり、中学校に入れば又『○○君のお姉さんが僕の兄貴と同級で勉強を張り合ってたらしいけど勝てへんかったから、兄貴の仇を弟が打てって言われてきた』とか。
そして一番大きな影響を受けたのは、きっと音楽の素養。
ピアノの先生が姉に教えに来られていたのを良いことに、両親から私も受けるように促されたというか、ピアノの稽古をしないとお小遣いがもらえないということになってしまい、お陰でピアノの発表会にまで出てしまっていたりしています。
軽くなら譜面が読めるのはその所以?
その後姉は、中学ではピアノは引き続きながらギターを弾き、高校ではマンドリン部に入部。社会人になっても時間を作ってエレクトーンを習いに行き講師の免状も取得したんじゃなかったかな。
ピアノとはまた別にエレクトーンが置かれている部屋からは、練習するための練習というんですか、超絶技巧の運指の練習があったのですが漏れ聞こえる音は凄かった。
私自身エレクトーンには手を出してはいませんが、やはり中学校に上がる頃にはギターを独学してました。
聴いていたアーティストを思い起こせば、ザ・タイガースあたりから始まり確か郷ひろみのファンクラブに入っていたような気がするのですが西城秀樹のレコードもあったけれど、次はTulipを長く愛しながら原田真二や巡恋歌の頃の長渕剛、Queenもかじってたかな?そこから以降はヘッドフォンミュージックで互いに干渉しない音楽嗜好になったかな?
姉が中学生になるまでは、子供部屋で一緒に寝起きしてましたし、その部屋にはピアノが置かれていて、レコードプレイヤーも1台しかなかった。
長渕の頃は、姉は別部屋で1人で寝起きするようになっていた。
何故Queenとかが分かったかと言えばレコードを持って帰ってきたジャケットで。
ただ私が高中正義を聴いていたら、『これ誰の』て訊いてきたからこういう方面も当然嫌いじゃなかったはず。

見舞いに行った病室から見えたスカイツリー。
結局、スカイツリーといえば姉の病室という刷り込み現象が出来上がってしまいました。
そして今日

東京駅で途中下車。

二重橋を見て。

楠木正成(楠正成)銅像。
この写真群も姉を思い出すアイテムになるだろう。

















