小さな村には個人所有という概念が希薄だった。もちろん代々を経由する田畑それぞれに固有の村人たちが手を入れていた。しかし、収穫はどの田畑も共同で行っていた。今年はうちの畑の青菜は出来が悪いので、まっさんちのをもろうて来た。そんな調子で、村人たちは暗黙の了解の下に互いの田畑へ出入りしていた。他の地方でこんなことをやろうものならきっと収穫泥棒扱いされたことだろう。今では古い条文の扱いになっている、民法上の事務管理という法律行為や総有財産という考えが村全体にそのまま息づいていた。もちろん登記の方も杜撰で野放図だったことはいうまでもない。が、村人たちが言い争っていることは、こと所有関係のことでは一度も聞いたことがなかった。総じて、平和な村落だったのだ。
そんな雰囲気の村だったから、おっつぁま神社の管理も村人任せにされ、いつしかだれも寄り付かなくなってしまった。そして、神社に関する資料は、寺に保管されることになった。
寺は小高い山の頂きにあった。
延々501段の石段を登りきったところに建造された寺には、こじんまりとした本堂が一つと、その脇に、掃除道具を収める倉庫のようなものが一つ、それに、いつもは忘れ去られていて年に一度の除夜の鐘で思い出される程度の釣り鐘が一つちょこなんと下げられた釣り鐘堂があった。どれもこれも祖末な作りで年代を感じさせるものばかりだったが、手入れが行き届いていたため、わずかに厳かな外観を保っていた。
佐伯とやまちゃんが寺を訪れたのは、午後1時を回っていた。
華奢な作りの門をくぐると、ちょうど住持がこちらに背を向けて手狭な境内の掃き掃除をしているところだった。恐る恐る二人は、住持の後ろ姿に向かって声をかけた。
「こんにちは」