先日のオバマ大統領による歴史的な広島訪問とスピーチ。

いくつかの日本メディアで演説を読んだんですが、違和感がある所もあったり、ネットで、こういう英語の名文調は日本語に訳すと歯が浮くような感じになるという意見もあったので、自分なりに訳してみました。

目にしたものの中ではNHKのものが一番よかったです。

もしよかったら他の新聞やメディアの訳と比べてみてくださいねー。

 

 

原文

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO02903620X20C16A5FF1000/

動画

https://www.youtube.com/watch?v=gpanCic7OTU

 

改行は上の共同通信の原文に準拠します

 

 

 

 

 

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71年前の、雲一つない晴れた朝、死が空から降り落ちて、世界は変わった。閃光と火の海が街を破壊し、人類は自らをも滅ぼすすべを手に入れたことを示した。

 

私たちはなぜこの場所、広島を訪れるのか。そう遠くない過去に解き放たれた、恐るべき力に思いを巡らすために訪れる。死者を悼むために訪れる。10万を超える日本の男性、女性、子供、数千人の朝鮮の人々、十数人のアメリカ人捕虜らの死を悼むために。

 

彼らの魂が語りかける。自らを振り返り、私たちの存在と行く末を考えようと。

 

戦争という意味では広島だけが特別ではない。太古の遺物は、暴力による争いが遙か原始からあったことを物語る。我々の祖先は石から刃を、木から槍を作り出したが、その矛先を狩りだけでなく、同じ人間にも向けたのだ。

 

どの土地でも文明の歴史は戦争に満ちている。食の不足や富への渇望によって、あるいは国粋主義の情熱や宗教の熱狂に駆り立てられて。帝国が起こっては滅び、人々は隷属しては解放された。そしてその度に罪なき人々が苦しみ、数え切れぬほどの犠牲が、時と共に忘れ去られた。

 

広島と長崎で残酷な終わりをむかえた世界大戦は、最も強く豊かな国々の間で行われた。文明は世界に偉大な都市と壮大な技をもたらし、思想家は正義、調和、真理といった考えを発展させた。それでもなお、支配や征服といった、原始的な部族の争いと同じ本能から、戦争は起こってしまった。古い形式が、新しい能力と共に、新しい制約は持たぬまま繰り返された。

 

数年のうちに6千万人が死んだ。私たちと変わらぬ男性、女性、子供たちが、撃たれ、殴られ、歩かせられ、爆撃され、繋がれ、飢え、毒ガスで死んだ。

 

世界のあちこちに、この戦争を記録する場所がある。勇気や英雄を称える慰霊碑や、口に出せないほどの悪行を伝える墓や無人の収容所がある。

 

しかし、この空に昇ったキノコ雲のイメージこそ、人類のもつ根本的な矛盾を、最も強く突きつける。我々を人類たらしめる輝き、すなわち思考、想像力、言語、技術、自らを自然と区別し、自然を思い通りに変える力。これらのものが同時に、比類なき破壊をもたらした。

 

物質的進歩や社会的革新はどれだけこの事実から我々の目を曇らせるのか。人はどれだけ簡単に崇高な理由のもとで暴力を正当化するのか。

 

いずれの偉大な宗教も愛と平和と正義への道を説く。だがどの宗教も信仰の名のもとに人を殺す信者と無縁ではない。

 

人々を犠牲と協調の物語によってまとめることで国家は発展し偉業を成す。しかし同じ物語が、あまりにも多く、他人を抑圧し非人間的に扱うために使われてきた。科学は、海を越えて通じ合い、雲を超えて空を飛び、病を治し、宇宙を理解することを可能にした。だが、同じ発見が最も効率的な殺戮兵器にもなりうるのだ。

 

現代の戦争はこの真実を教えてくれる。広島はこの真実を教えてくれる。技術的進歩に見合うだけの社会的進歩を伴わない発展は、人類を破滅させかねない。原子の分裂にまで至った科学の進化は、道徳の進化も必要とする。

 

だからこそ、我々はこの場所を訪れる。街の中心に立ち原爆が落ちた瞬間を想像するために。おびえる子供たちの目に映った光景の恐ろしさを感じるために。

 

声なき叫びに耳を傾ける。あの恐るべき戦争の中で殺された全ての罪なき人々を思い出し、それまでの戦争と、これからの戦争に思いをはせる。

 

彼らの苦しみは容易に言葉にできない。しかし私たちは歴史を直視し、そのような苦しみを防ぐため何ができるかと自らに問う責任を共有する。

 

いつの日か被爆者の声を聞くことはできなくなるだろう。しかし1945年8月6日の朝の記憶は絶対に薄れさせてはならない。この記憶は慢心をとどめ、道徳的な想像力をかきたて、変革を可能にする。

 

そしてあの運命の日から、私たちは希望をもたらす選択を行ってきた。アメリカと日本は同盟だけでなく友情を築き上げ、戦争で得られるとされるものを遥かに超える恩恵を獲得してきた。

 

欧州はEUを作り、戦場を商業と民主主義の結束の場に変えた。抑圧された人々と国々は解放された。国際社会は制度と条約によって戦争を防ぎ、核兵器を制限し、縮小し、究極的には廃絶しようとしてきた。

 

いまだに世界中で見られる、国家間のあらゆる攻撃性、あらゆるテロ、腐敗、残虐性、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを示している。人間のなす悪行を完全に止めることはできないかもしれない。だからこそ我々の国家と同盟は自らを守るすべを持たねばならない。

 

我が国のような核保有国は勇気を持って恐怖の論理から抜け出し、核のない世界を目指さなければならない。私の生きている間にこの目標は達成できないかもしれないが、
たゆまぬ努力が大惨禍の可能性を減らすだろう。

 

私たちは保有核の廃絶に向かう道筋を立てることができる。新しい国への拡散をとどめ、致死物質を狂信者から守ることができる。それでもなお十分ではない。今日の世界を見渡せば粗悪な銃やタル爆弾ですら恐ろしい規模の暴力に使われている。

 

私たちは戦争について考えを改めなければならない。外交によって紛争を防ぎ、今ある紛争を終わらすため努力し、ますます高まる相互依存を暴力的競争ではなく平和的な協力の手段として使い、破壊する能力ではなく生み出す能力によって国を判断する。そしておそらく何よりも、私たちは人類というひとつの大きな種族として、お互いの関係を考えなおさなければならない。それも人類を人類たらしめるものなのだから。

 

私たちは遺伝子に縛られて過去の過ちを繰り返したりはしない。人類は学ぶことができる。選ぶことができる。共通の人間性を説き、戦争を起こさせない、残酷さを許さない物語を、子供たちに伝えることができる。

 

被爆者はそうした物語を持っている。本当に憎いのは戦争それ自体だと気づき、原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性。家族を失くしたのは相手も同じだと考え、原爆で犠牲になったアメリカ人の遺族を探し出した男性。

 

私の国の物語は簡単な言葉で、こう始まる。「すべての人間は平等であり、神から授けられた不動の権利により、生命、自由、そして幸福を追求することができる」

 

その理想を実現するのはアメリカ国内であろうと、同じアメリカ国民であろうと、決して簡単なものではない。しかしその物語に従うだけの努力をする価値はある。海をこえ陸をこえて広め、貫くべき理想だ。

 

どの人間にも価値があり、誰の命も尊いという主張。私たちは人類という一つの大きな家族であるという、確かな、そして必要な意識。この物語を皆が伝えなければならない。

 

だからこそ我々は広島を訪れる。愛する人達のことを考えたりする。朝一番の子供の笑顔、食卓を囲んだ団欒、親からの暖かな抱擁。

 

そういったことに思いをはせ、そんな尊い瞬間が71年前のこの場にもあったことを知る。亡くなった人々も、同じだった。

 

普通の人にはこれがわかると思う。人々はこれ以上戦争を望まない。科学が命を滅ぼすのではなく、豊かにするため使われることを望む。

 

国家が、指導者が道を選ぶとき、この真っ当な英知が反映されれば、広島の教訓は活かされたと言える。

 

この場所で世界は永遠に姿を変えてしまった。しかし今日、この街の子供たちは平和な日々を送っている。なんと尊いことだろうか。守り、そして全ての子供たちに広げてゆくだけの価値がある。

 

それが我々の選びうる未来だ。広島と長崎が核戦争の夜明けとしてでなく、人類の良心の目覚めとして知られることとなる未来だ。

 

 

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以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ理念ポエムといってしまえばそれまでなのですが、世界一強い国の指導者がこういうことを、まさにその場所に来て言ったというのは、それだけでも立派なことであると思います。

ポエムやレトリックとしても良いものなので、それを表現したかったのでした。