やっとのことで私の手助けを受け入れるようになったYさん(88歳男性)。

親戚が以前使っていたという手押し車があるのに、一度も使ったことがありません。

これを使って歩く練習をしましょうと誘っても、「いやぁまだいいよ」と断られます。

 

ひとりで歩くことが難しくなっている姿を見られたり、知られたりすることは自尊心が傷つくから、嫌なのです。これはYさんに限ったことではなく、誰もが持っている自尊心がなせる業なのだろうと思います。

 

でも、この自尊心が壁となって手押し車を使えないまま、再び転倒するリスクが高まることは、できることなら避けたいですね。

だからこそ、周りからの声掛けと、さらに一歩踏み込んだアプローチが必要なんじゃないかな~、と思ってます。

 

「そんなこと言わないで、私と一緒に歩きましょうよ」

「手押し車を使うと、足を高く上げて、前に大きく踏み出せるから、いい訓練になりますよ」

「それに、二人で歩けば訓練だとわかるから、周りの人たちも「ああ頑張ってるな」って思ってくれるんじゃないかな~」

 

やっと「じゃぁやってみようか」という気持ちになってくれました。

それでも「あっちは知り合いが多いから、こっちのコースにしよう」と、見られたくない気持ちは根強いようです。

でも、ここまでくれば一安心。さらに歩きながらもう一押しです。

 

 

「どう? 普段より大きく踏み出せるでしょ。」

「手押し車を使っている人たちは、こういう訓練をしている人たちなんだよ。」

 

自尊心という厄介な壁を、自分だけで乗り越えるのは難しいようです。

表現が適切かわかりませんが、一緒に「なだめすかして」あげることが大切なのではないかと思います。

 

一緒に散歩に行くようになってから、会うと必ず

「いやぁ、おかげでなかなか調子がいいんだよ。」と言ってくれます。

でもまだ一人で歩いている時は手押し車を使ってくれていないようです。。まぁ少しずつですね。

 

頑張ってもう少し長く歩けるようになったら、スギ薬局まで歩いて行きましょう!

一緒に買い物に行くことを目標にして、訓練散歩を続けることにしました。

 

ケアマネに繋ぐまでの苦労話へ続く

1月下旬、咲き始めのスイセンもきれいです!

 

[1月31日撮影]

 

 

こんにちは、まちともLifeです。

東京都清瀬市で家事と介護のお手伝いサービスをしています。

 

転んでからお庭に出られなくなってしまったMさん(91歳)。

広いお庭も雑草だらけ、庭木たちも伸び放題になってしまいました。

 

 

藤棚を剪定して欲しいという依頼をきっかけに、

昨年秋頃から『まちともLife』でお庭の手入れをさせていただいています。

 

藤の木は、静岡にあったお母様の実家からもらってきたもので、藤棚を作って大切に育てられているとのことです。

きれいに剪定された藤棚を見てとても喜んでいただけました。

 

 

 

このお庭は、亡くなられたご主人が丹精を込めて作られたそうです。

手入れをしていると、そのことがよくわかります。

春にはツツジ、初夏から秋まで長く咲くムクゲやフヨウ、秋のキンモクセイと彼岸花、寒い時期に咲くツバキなど、季節ごとの表情を楽しめる素敵なお庭です。

 

そして1月中旬、もうスイセンが咲き始めていました。

 

 

2月下旬頃には一面に咲くスイセンが見られそうです

紅梅・白梅のほのかな香りも漂っています。

 

「近所のデイサービスの方が散歩している際に声をかけて、お庭に招いてスイセンを見てもらったこともあるんですよ」

と嬉しそうに話すMさん。

 

 

こんなに素晴らしいお庭だから、ご近所の方々も楽しみにしているかも知れませんね。スイセンの見頃を迎える頃に、ご近所のお友達やデイサービスの方々にお声掛けしてみましょうか、と相談しています。

 

お手伝いを通じたお付き合いが、地域の人が繋がるきっかけになって広がっていく。
そんなまちづくりに資する活動もできたらいいなと思います。

春に道路で転倒してから、Yさん(88歳男性)の足取りは危なげになっていきました。

その頃、家事と介護のお手伝いを仕事として始めようと準備をしていた私は、ご近所付き合いの延長でYさんの手助けを買って出ることにしたのです。

 

「一緒に歩く練習をしましょう」「掃除とかもお手伝いできますよ」と声をかけても、Yさんは「いやぁ大丈夫だよ」「まぁ自分でやるから」と私の申し出をなかなか受け入れません。

ご近所でけっこう親しくしてきたので、喜んでくれるだろうと考えていたのですが。。それどころか、最近知り合ったというお婆さんを家に迎えて掃除をしてもらったり、お隣の奥さん(Iさん)にも甘え放題。

女の人のほうが頼みやすいという面はあるのでしょうね。。これも私が乗り越えなければならない壁なんだなと改めて気付かされます。

まぁ仕方がない、しばらく静観することに。

 

時間は過ぎて夏を迎えた頃、Yさんの調子はさらに悪化してしまいます。

少しずつ認知症の兆候も出始めて、掃除などをしていたお婆さんの姿も見かけなくなりました。

その分、お隣のIさんへの甘えがエスカレートして、Iさんが困り果ててしまいました。

 

私は再び「お手伝いしますよ」とYさんに申し出たのですが、今度もまたYさんは渋ります。

しかし今回は、Iさんが苦しんでいる状況も看過できないし、何よりもYさんの生活が誰かの手助けなしでは成り立たないところまで来てしまっていました。

ここでYさんやIさんを助けられないようでは、これから私がお手伝いを仕事にして、地域での助け合いを広めていくこともできないだろうと、私はもう一歩を踏み込むことにしました

 

声掛けだけでなく、行動することに

まずは外堀から。玄関の庭先に落枝が散乱していたので「これ片付けるよ」と言って1時間ほど作業していると「いやぁ助かったよ」という反応。

 

 

これなら内堀も埋められる好機かも!

袋詰めした落ち葉などを「明日捨てとくね」と言いつつ「他にも燃やせるゴミがあったら一緒に捨てとくよ」と言って家の中へ。案の定、いろんなものが散乱しています。

ゴミの分別もできていなかったので、ちゃんと分別し直す作業もすることに。

Yさんは少し照れくさそうに「いやぁ男の一人所帯だからさ。。」と。

きっと、散らかった家の様子を見られるのが恥ずかしかったのだろうな。

私は「そりゃそうだよ。一人暮らしなんだから、こんなもんだよ」となるべく普通に答えながら、分別作業を続けました。

 

ちゃんと生活できなくなっている姿を見られたくない、そうだよね。

恥ずかしい、見られたくないという気持ちが、手助けを拒む壁になってしまうことはYさんに限ったことではないでしょう。

 

この日を境にYさんへの生活支援を続けていくことになります。

認知症が進んでいく中で、介護保険サービスに繋げることも急務でした。

私にとっては試練の日々の始まりです。

 

手押し車を使ってもらうまで【介護#3】へ続く

ご近所でお一人暮らしのYさん(88歳男性)、つい1年ほど前までは自転車に乗って買い物にも行けたし、足取りもしっかりしていました。

 

2023年の春頃にちょうど私の家の前の道路で転倒してしまいました。

通りかかった女性が二人がかりでも起こすことができず、うちのピンポンが鳴って外に出てみたら、仰向けに倒れていたのがYさんでした。

腰と後頭部を打ったようですが、目立った外傷や出血もなく、骨折もしていなさそう。

意識もはっきりしていて「救急車は呼ばないでくれ、すぐ近くだから歩いて帰る」と言うので、慎重に抱え起こし、バランスが取れず後ろに倒れそうになりながらも、何とか家まで連れて帰りました。

 

頭を打っていたので、連絡して駆けつけてもらった親戚の方に、病院で診てもらうよう伝えました。

CT検査などの結果も異状はなく、事なきを得たかと思えたのですが、この転倒をきっかけにYさんの調子はどんどん悪くなってしまいます

 

予兆はありました。

転倒する2ヶ月ほど前から「気を付けてくださいね」と声をかけるようになっていました。

Yさんに見られた予兆は、①歩幅が小さくなる②足が高く上がらず「すり足」になる③平らな道でも躓きそうになる、です。

私が介護していた叔母もそうでしたので、ある程度共通性のある転倒の予兆と思われます。

 

もっと早く杖や手押し車(シルバーカー)を勧めておけばと悔やまれますが、勧めていたとしてもすぐには使ってくれなかっただろうなぁ、という気もします。

歩きづらくなったという自覚はあっても、自分はまだ大丈夫、杖や手押し車を使っているところを人に見られたくない、そういう気持ちが妨げになることが多くあるためです。

 

予兆の①と②が見られたら、杖や手押し車の使用を周りの人が強く勧めて、多少強引にでも使ってもらうことが必要だと思います(家族以外だと強く勧めるのは難しいと思いますが)。

③まで見られたら、近いうちにほぼ必ず転倒すると考えた方がよいと思います。

 

 

Yさんが転倒した頃、私は叔母の介護を終えて、家事と介護のお手伝いを仕事としてやっていこうと準備を始めていました。

このあと調子が悪くなっていくYさんとの関わりは、地域で介護のお手伝いをしていくことの厳しさを私に教えてくれます。

そのおかげと言うべきか、お手伝いで地域に貢献していこうという私の気持ちも強くなっていきます。

 

次回からは、そのことについて書いていこうと思います。

 

手助けを受け入れないご近所さん【介護#2】へ続く

私が「起業したお手伝いサービスのホームページを無料サイトで作ったよ」

と母に伝えてから1か月ほど経った頃に、

母から「私もホームページを作りたい!」とLINEが来ました。

 

「闘病日記を書きたくなって・・誰も読みたくないだろうけど・・記録に残しておきたくて」と。

 

それは、いいね! 日記ならホームページじゃなくてブログがいいよ、

ということで、2024年1月2日、さっそくアメブロデビューとなりました。

 

 

母は2010年に間質性肺炎と多発性筋炎を併発する膠原病を発症して入院、その後もステロイドや免疫抑制剤などの投薬を続けています。

風邪をひいただけでも重症化する恐れがあるので、なにかと制約の多い闘病生活です。

 

それでも母は、とても明るく、今を楽しむことにも前向きです。

  • 家ではよく揉め事を起こすので家族に叱られてばかりの母ですが、外では素晴らしい社交性を発揮して、初めて会う人でもすぐに仲良くなれる才能の持ち主です。
  • さほどしゃべれもしないのに、外国人を見かけるとすぐに英語で話しかけるので、一緒にいるとヒヤヒヤします。
  • 調子が悪いときは入退院を繰り返すこともあるのですが、入院するたびに新しい友達を作って帰ってきます。アメリカ人女性の友達まで!
  • 調子がいいときの日常も、体操、英語、麻雀にと、何もない日がほぼ無いくらいの予定を入れて積極的に動き回っています。

 

そんな母のブログでも、入院や検査のことを書いている記事からは辛さが伝わります。やはり、病気と付き合っていくのは大変なことだと改めて気付かされます。

 

アクティブな母ですので、ブログ"tikoの闘病ライフ"もそのうち色々な内容に広がっていくだろうと期待しています。

 

 

そんな母に触発されて、私もアメブロを始めることにしました。

母から遅れること11日、私もアメブロデビューです!

 

清瀬市でまちともLifeを起業して、家事や介護のお手伝いサービスをしていますので、日々の活動記録などを書いていこうと思います。