F1日本GP 中野信治 高木虎之介 日本人F1ドライバー ミナルディ タイレル レースクイーン | CLUB24-にいよんー

1998年F1日本GP⑥ 日本人ドライバー 中野信治選手/高木虎之介選手

1998年F1日本GP⑥

 

 

リタイア:中野信治選手/ミナルディM198/フォードZetec-R

 F1フル参戦シーズン2年目。

 若い頃からイギリスのジュニアフォーミュラやF3に参戦し、その様子はモータースポーツ誌に掲載されていたので応援していた。

 実際にお会い出来たのはF3000~フォーミュラニッポン参戦の頃なのだが、イケメンなのだがチャラく無く堅実な走りと誠実なファン対応に好感が持てていた。

 
 デビューシーズンはリジェ/無限ホンダでポイント獲得していたが、2年目のミナルディでは中野選手のお持ってしても6位内に食い込むことはできなかった。
 日本GPこそ入賞を! と願うも無念のリタイア。
ミニチャンプス1/43ミナルディM198
 
 2016年の鈴鹿サウンド・オブ・エンジンでミニチャンプス1/43ミナルディM198にサインを頂いた。
 ゼッケン「22」も入れて下さった。
 

エイベックスのお姉さん

 全日本GT選手権参戦の時からエイベックスがサポートしてくれていた。

 

 

リタイア:高木虎之介選手/タイレル026/フォードZetec-R

 全日本F3000で頭角を現し、PIAA中嶋レーシングからの参戦もあって「F1行き確実」と目されていた。
 ’97年は中島企画とジョイントしたタイレルのテストドライバーとなり、翌年のF1参戦の準備としてコースを覚えるためにF1サポートレースのポルシェカレラカップに参戦するなど❝準備万端❞だった。
 ドルフィンも同じ静岡県出身という事もあり「ここまでやっているのだからF1でも活躍してくれるだろう」と期待していた。
 が…。

 蓋を開ければ…いや、蓋を開けるF1参戦シーズン開幕前に経済事情が悪かったタイレルがB.A.Rに身売りが確定。長年F1で指揮を執っていたケン・タイレル氏も離脱してしまった。
 中島企画の力添えでPIAAはじめ幾多の日本のメーカーがスポンサードするもタイレルの窮地を救えなかった。思えば’70年代からタイレルはスポンサーの獲得が悪く、マシンボディに「Tyrrell」と書いているだけの年もあり「莫大な資金が必要になるF1で、どう資金繰りしているのだろう?」と不思議だった。
 チーム情勢不安定な中で1ポイントも獲得できなかったばかりか、半分のレースはリタイアだった。

 日本GPでも多くの応援樹がはためく中でリタイアに終わってしまった。
 

 全日本F3000時台に静岡県の「精神信用金庫」のCMに出ていたので、ドルフィンもわざわざ清水市まで行って口座を作った。
 サインを頂くさいに「CM見て精神信用金庫に口座作りました」と言うと「そうなんですか、ありがとうございます」と言われていた。
 大阪に引っ越す際に口座は閉じたが…。