過渡期に達した1991年 F3000第7戦/8戦・富士 初めてドリキンさんに会う | CLUB24-にいよんー

過渡期に達した1991年 F3000第7戦/8戦・富士 初めてドリキンさんに会う

1991年全日本F3000 7戦/8戦・富士

 

 世界的好景気、日本もバブル景気でお金に余裕がある企業がモータースポーツのスポンサーに参入。F3000だけでなく、F3や下位カテゴリーのフォーミュラ・トヨタ、フォーミュラ・ミラージュも予選落ちが出るほどの参加台数があった。

 F3000は予選落ちしてしまうと、決勝日はガランとしたピットにマシンとキャンギャルだけがいる状態だった。

 

 マシンはローラ、レイナード、ラルト、童夢。その中で新型、旧型がある。

 エンジンは無限、コスワース。その中で各チューナーが分かれる。

 タイヤはブリヂストン、ダンロップ、ヨコハマ。

 —と、組み合わせが多様化していて全てを覚えきれなかった。

 さらにはチームによってはドライバーもスポット参戦させていたりした。レギュラーで参戦した外国人選手も多かった。

 この複雑さが「F1よりも難しい」と言われた一因でもあり、面白いところでもあった。現在のようにマシン&タイヤがワンメイク、エンジンは2メーカーの管理下—というのは費用を抑える効果はあるだろうが面白みに欠ける。

 車両費用は抑えられているが、昔は冷暖房管理のモーターホームやピットの豪華パーテーションは無かった。持ち込むコンピューターの数も増えている。大量の電力を賄うためにパドックでは複数台の発電機が稼働している。キャンギャルの数も多くなりコスチュームも複雑化している。

 「ショー」として見せる部分もあるだろうが、サーキット内ではどんどん豪華になっていてどこまで費用を抑えているのか怪しいものだ。

 

第7戦

優勝:星野一義選手/CABIN ローラT91/50/無限

 当時の星野選手は❝勝ちに飢えた鬼❞だった。勝つためには何でもやっていたし、チームもピリピリしていた。決勝日にはチームスタッフに10分毎に気象庁に電話させて気象情報を確認させていたそうだ(現在のようにリアルタイムで知る方法が無かった)。

 この❝鬼❞っぷりは現在ではロードレース・ヤマハファクトリーの中須賀克行選手がそんな感じだ。

 

2位片山右京選手/CABIN ローラT91/50/コスワース

 開幕戦と第5戦の鈴鹿で優勝し「来年はF1」との声が日々大きくなっていた。

 

3位フォルカー・ヴァイドラー選手/KAWAISTEELローラT91/50/無限

 マツダのル・マン24時間優勝の立役者。ヴァイドラー選手はカワイスチール・カラーのイメージが強い。

 

4位:トーマス・ダニエルソン選手/アコム エボリューション ローラT91/50/無限

 

5位:マウロ・マルティニ選手/ライベックス DL ローラT91/50/無限

 

6位:ヤン・ラマース選手/オムロン ダンロップ 童夢F102/無限

 

8位:中谷明彦選手/TOSTEM ローラT91/50/無限

 第2戦オートポリスで優勝、前戦の菅生で3位に入り注目されていた。

 マシンカウルはムーンクラフトのオリジナルを装着していた。

 

10位:服部尚貴選手/PLUS ローラT90/50/無限

 

12位:小川等選手/KYGNUS.TONEN.ローラT90/50/無限

 ’89年にチャンピオン獲得後は2位が最高位で惜しいところで優勝を逃していた。

 観戦に行った鈴鹿2&4では片山右京選手と優勝争いをしていた。

 

15位:田中実選手/レイトンハウス ラルトRT23/無限

 

19位:長谷見昌弘選手/スピードスター ダンロップ ローラT91/50/無限

 

21位:高橋国光選手/ADVAN ローラT91/50/無限

 

第8戦

 

22位:金石勝智選手/AVON HOUSE ローラT90/50/コスワース

 

24位:松本恵二選手/ホーユウ ダンロップ 童夢F102/無限

 

25位:古谷直広選手/ワコール ダンロップ ローラT90/50/無限

 ’93年頃、秋ヶ瀬サーキットでカートを教えて頂いた❝師匠❞だ。

 

リタイア:ロス・チーバー選手/PROMISE レイナード91D/無限

 全日本F3ではチャンピオンを獲得しているが、F3000では毎年優勝していたがチャンピオンは獲得できなかった。最高はシーズン2位。

 8年間の全日本F3000参戦の内、約7年もの間レイナードのマシンに乗っていた。レイナード=チーバー選手のイメージがある。

 

リタイア:ジョニー・ハーバート選手/SUNTORY WESTラルトRT23/無限

 ’88年国F3000で多重クラッシュに巻き込まれて怪我を負い、翌年にベネトンからF1デビューしたものの思うようなパフォーマンスを出せず❝リハビリのため❞全日本F3000に参戦していた。

 F1開幕戦で4位に入るセンセーショナルなデビューで、ベネトン好きのドルフィンはファンになった。

 全日本に参戦している間は写真を撮っていたが実際にお会いする事は無かった。

 

DNQ:和田孝夫選手/TENORAS・ADVAN ローラT91/50/無限

 TENORASは千葉麗子さんがマスコットガール(キャンギャルとは別ポジション)に就任していたが、サーキットで見かける事は無かった。翌年に『恐竜戦隊ジュウレンジャー』に出演した。

 

DNQ:和田久選手/CAPCOM ローラT90/50/無限

 

DNQ:鈴木利男選手/UNIVERSAL ローラT91/50/コスワース

 

 富士での第8戦は台風による大雨でF3000決勝は中止になった。

 追っかけ生放送予定をしていたF3000が中止になったことにより、その枠の穴を埋めるために❝伝説❞のJSS決勝がフル放送される事になった。

 決勝も現地観戦していた。

 

優勝土屋圭市選手/RSファインRX-7

 金曜日だったか、初めてドリキン・土屋圭市さんにお会い出来た。

 マイナーツーリングレースで「賞金泥棒」と呼ばれるほど勝ちまくり、TV『モーターランド』のリポーターもされていたので、一部の❝野郎ども❞には有名だった。

 『モーターランド』のリポート中にも度々❝国さんリスペクト❞の発言があった。

 ’91年にはGr.AでR32スカイラインを駆りF3にも参戦していた。「俺と勝負したければサーキットに来な」で有名な『首都高速トライアル2』も出演されていた。

 

「JSSでキャンギャルいるの俺だけだな」と

 憧れのドリキンさんにお会い出来てめっちゃ嬉しかった。

 丁寧なサインも頂いた。

 

初めて頂いた土屋圭市選手のサイン

 

 

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