左右非対称色のBAR、ミナルディ、ウイリアムズ、リジェ 1999年F1日本GP
1999年のF1日本GPがF1の決勝レースを生観戦した最後になった。
'76年F1inJAPANから続いていた連続観戦もここで途絶えた。しかし途絶えなかったら観戦料金高騰しても辞め時が見つからなかったかもしれない。
鈴鹿での再開催後の2010年からは金曜日券が発売されたので1日のみ。それも日本人F1ドライバー小林可夢偉選手がシートを得ていた2014年まで。TVの無料放送も無くなって、現在はドライバーの1/3くらいしか名前と顔が分からない。
写真はオートフォーカスも使えたが、現在のカメラに比べてフォーカス速度が遅いので、マニュアルでピントを合わせて撮影していた。
フィルムなので無駄な連写はできない。一枚入魂だ。
ジャック・ビルヌーヴ選手/B.A.R/スーパーテック
’92年に全日本F3に参戦していたが、全く会う機会が無かった。
その後、CARTチャンピオンを獲得してF1入りした。現在のアレックス・パロウ選手が同じようなルートを通っている。
あ、まだふさふさ…
F1参戦権のためにタイレルを買収して設立されたアメリカン・ブリティッシュ・レーシング・B.A.R。
しかし、権利だけが目的でタイレルの設備や人材はほとんど使われなかったとか。ドルフィンがF1を見始めた時には6輪マシンを投入したトップチームの歴史も前年で終わっていた。
チーム2台のマシンを別々のタバコブランド・カラーにしたかったが、却下されたために左右別々のタバコブランドのカラーになっているのが特徴。ミニカーにデカールを貼るのが大変だ。
中央はジッパーで繋がっている―というデザインになっている。
F3000やフォーミュラニッポンにもマシン供給していたレイナードがマシン製造を担当。
F1チャンピオン経験者であるビルヌーヴ選手をもってしても全く走らず、日本GPで初めて2台とも完走した。開幕前に大ぶろしきを広げ過ぎた。
ラッキーストライク面
555面
ラリーではスバルをスポンサードして知名度はあったが日本では発売されていなかった。
リカルド・ゾンタ選手/B.A.R/スーパーテック
’98年国際F3000チャンピオン。GT1メルセデスCLK-LMで鈴鹿1000Km、ITCでも鈴鹿にもやってきていた。
後にトヨタF1のドライバーも務めた。ラッキーストライク面はトヨタっぽくも見える。
サッポロのお姉さん❤
遊園地側のトンネル入り口だったと思う。
ルカ・バドエル選手/ミナルディM01/フォードZTEC
ルカ・バドエル選手
後に長期にわたりフェラーリのテストドライバーを務めるマルク・ジェネ選手がチームメイトだが、ジェネ選手は撮れていなかった。
ジェネ選手は2016年のフェラーリ・レーシング・デイズでお会いできた。
COKPITのお姉さん❤
ラルフ・シューマッハ選手/ウイリアムズFW12/スーパーテック
フォーミュラニッポン初代チャンピオン。5位入賞した。
空力の魔術師エイドリアン・ニューウエイが去り、ルノーワークスのエンジンを失って数年前までの常勝ウイリアムズが嘘のように走らないマシンになってしまった。
このタイミングでのウイリアムズ移籍はシューラルフ選手にとっては失敗だった。
アレッサンドロ・ザナルディ選手/ウイリアムズFW12/スーパーテック
CARTシリーズチャンピオンを獲得して一回り大きくなってF1に復帰。
しかし、走らぬマシンに苦戦し1ポイントも獲得できなかった。
笑顔を向けてくれたザナルディ選手
後年、クラッシュにより両足を失う絶望の淵からもリハビリを重ねツーリングカーレースに転向。さらにはパラリンピックのハンドサイクルで金メダルを獲得。その前向きな姿勢と努力に対し人間として尊敬する。
だが、その不死鳥の男にサイクルレース中にトラックとの衝突事故という不幸が襲った。瀕死の重傷で生命すら危ぶまれた。それでも奇跡的な回復で2021年に退院してリハビリを開始している。なんという素晴らしい魂!
社会復帰、そしてまた素敵な笑顔を見せてくれることを望んでいる。
鈴鹿サーキットクィーンのお姉さん❤
オリビエ・パニス選手/プロストAP02/プジョー
決勝は一時3番手まで浮上するもののリタイアに終わった。
ヤルノ・トゥルーリ選手/プロストAP02/プジョー
後にトヨタF1のドライバーになり2009年の日本GPではトヨタF1参戦史上最高の2位を獲得することになる。
数年間に経営するワイナリーのワイン販促のために大阪に来られていたらしい。知るのがちょっと遅かった。会いたかったなぁ~。残念。
ヤルノ・トゥルーリ選手
ヨーロッパGPでは自身初の2位表彰台を獲得していた。






























