ヒル選手&無限ホンダ引退、虎之介選手ラストF1 最後の決勝観戦・1999年F1日本GP | CLUB24-にいよんー

ヒル選手&無限ホンダ引退、虎之介選手ラストF1 最後の決勝観戦・1999年F1日本GP

 1999年F1最終戦・日本GP。金曜日から大阪の友人と翌年に嫁はんとなる相方と3人で観戦に行った。あ~あ、あの頃は一緒にサーキットに行ってくれたなぁ…。などと思いにふける。

 一般観戦3日間通し券で9,000円、グランドスタンドS2(現在のV席の一番1コーナー寄り)席で39,000円。もうチケット代が高騰して資金的に苦しくなった。

 加えて駐車場争奪戦も激しくなっていた。ボウリング場の木の下に車を置きたかったため水曜日(当時の通常休日)に車を置きに来て新幹線で帰り、木曜日の晩に再び新幹線で鈴鹿に来るという荒業を使っていた。

 半面、決勝レースはピットで順位が変わるくらいの❝週末パレード❞になっていた。マシンによる空気の振動と爆音がいい感じに睡魔を誘い、決勝中にウトウトしてしまうくらい。

 週末に3日間連休する事も難しくなってきた。

 そこまで苦労して「F1を観に行く価値があるのか?」―との自問自答が数年前からあった。

 

B’zの松本孝弘さんが国家演奏

 

 F1だけでなく、国内レースにしても予選順位のままゴールする展開。テストの際にチームと仲良くなった女の子とかパドック券や駐車券をタダでもらっているのを見て、そういうことがまかり通っているのに「お金出して観に行く」のが馬鹿らしくなってしまった。

 とか諸々の要素が重なって1999年F1日本GPを最後にモータースポーツから一切足を洗うことにした。

 

 その後、2006年に鈴鹿ラストF1(当時は)&シューマイケル選手引退(1回目)があり、大阪に転居していて近鉄で行けることから再びサーキットに行くまでTVや雑誌もほとんど見ていなかった。

 

デイモン・ヒル選手/ジョーダン199/無限

 F1ワールドチャンピオン経験者、ヒル選手も日本GPを最後に引退を表明していた。

 シーズンを通してフレンツェン選手に後れを取っていた。

 マシンが思うように仕上がっていなかったのか、無理をして描く所でタイヤロックやコースアウトしていて痛々しかった。

 

レース終了後、無限の本田博俊社長とともにスタンドに向かって挨拶するヒル選手

 ホンダの第二期F1参戦終了後の’93年からホンダF1エンジンを引き継いできた無限だったが、翌2000年からのホンダのF1復帰を境にF1エンジン供給を退くことになった。

 本田博俊社長にとってもF1引退だった。ホンダの不在期間「楽しませてくれてありがとう」という気持ちで拍手を贈った。

 

ハインツ-ハラルド・フレンツェン選手/ジョーダン199/無限

 シーズン2勝と着実にポイントを稼ぎ、中盤戦にはチャンピオン争いを展開するほどだった。

 無限ホンダにとって最後の花道になった。

 

決勝でのピットストップ

 

プレステのお姉さん❤

 

高木虎之介選手/アロウズA20/アロウズ・ハート

 ’98年からF1にステップアップした虎之介選手だったが、翌年にはシートを得られず事実上のF1ラストレースになった。

 F1最高位は7位。今でなら十分ポイント獲得圏内だが当時は「6位入賞制」だったのでノーポイントに終わった。日本ではあんなに速かったのに。もっと実力が出せるマシンで走ってもらいたかった。―が、それは全ドライバーに言える事で、シート獲得も力量のうち。

 

アロウズの集合写真はスタンドを背景に。こっちむいて撮ってよ~

 

大阪オートメッセの際にサインを頂いた

 F1行ってからのサインはこの時初めてだった。

 「日本人F1ドライバーの母国ラストランは不運」のジンクスに従ってギアボックストラブルでリタイアとなった。

 

ペドロ・デ・ラ・ロサ選手/アロウズA20/アロウズ・ハート

 フォーミュラニッポン二代目チャンピオンのデ・ラ・ロサ選手。長年にわたりF1ドライバーを務めていた。

 開幕戦で6位入賞した他はほとんどリタイアだった。

 

PIAAのお姉さん❤

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