1990年 チームシンスケと鈴鹿6耐/鈴鹿4耐スタート
’86年大会から参戦を開始した島田紳助氏率いるチーム・シンスケ。
1990年鈴鹿8耐には初の2台体制での参戦になった。
参戦当初は「芸能人の遊び参戦」と思い、写真すら撮っていなかった。
しかしチームが取り上げられたTVや雑誌を目につれ❝本気❞さが分かってきた。それは他の方も同じようで、年々ファンが増えていった。
31位:千石清一/山本隆義 組/モリワキZERO-VX7
22位:大塚茂春/マリオ・ドゥハメル組/モリワキZERO-VX7
ブリヂストンとボブソンのお姉さん
鈴鹿6耐スタート
雑誌を読み返すまで忘れていたが、バイクブームで4耐への参加台数が増えたためにアマとプロの境目のライダーで「6時間耐久」が行われていた。
後に全日本トップクラスで走る吉川和多留選手や梁明選手もこのレースを走っていた。
スタート直後にストレートで接触した2台がコースアウト
カップヌードルのお姉さんはZARD坂井泉さん?
鈴鹿4耐スタート
この年の4耐は後に8耐最多優勝を誇る宇川徹選手と未だ現役の柳川明選手のペアが優勝している。今、名前だけ聞けば「優勝は当然だよな~」と思えてしまう。
青木琢磨選手も2位に入っている。
4耐でもスタート直後に接触、コースアウト
髪を後ろで束ねているの女性ライダー・神田みなみ選手
4耐では女性ライダーが決勝に進出する事も珍しくなかった。
当時は参加台数が多かったために週のはじめくらいから4耐予選が行われていた。滞在費も馬鹿にならない。
背中に「ズームイン‼朝!」の文字が見える
当時はTV番組でも4耐参戦を企画して密着ドキュメントを放送する事がよくあった。
トラブルや転倒するとマシンを押してピットに戻るライダーも
観客も応援の拍手を送る。