悲願の優勝! TECH21ヤマハ 平/ローソン組 1990年鈴鹿8耐
1990年鈴鹿8時間耐久ロードレースで、平忠彦選手が8耐挑戦5回目にして悲願の優勝を遂げた。毎年「優勝候補」とされながらもトラブル等でリタイアを余儀なくされていた。皮肉なことに怪我で急遽監督として臨んだ'87年にTECH21ヤマハは優勝を遂げていた。
時代はバイクブーム真っただ中。ヤマハ、ホンダがWGP500ccライダーを招集してきたので、日本では開催されていなかったWGPのライダー観たさに多くのファンが集まった。その数16万人(決勝日)。大会史上最高観客動員数を記録した。
その一端を担ったのが「キャンギャルオンステージ」完全にイベントとして定着し❝キャンギャル目当てでサーキットに来る❞方も多かった。
この世紀の一戦にポジフィルムで撮影することにした。「ポジは発色が良い」と前年に使用したものの上手く扱えず、リベンジとばかりに使用したのだった。
せめて1本くらいに留めておけば良かったものの、調子に乗って撮影の大半をポジにしてしまったものだから結局は失敗。あまり良い写真が撮れなかった。若気の至りとしか言いようがない。
平忠彦選手/TECH21ヤマハYZF750
平選手の8耐にかける情熱と執念をみんなが知っている。優勝のチェッカーを受けた時にサーキット全体が歓喜に沸いた―と思っているのはドルフィンだけだろうか? いや、16万の観客全てが「遂にやった!」と一種の充実感を共有したはずだ。
もっとバッチリ決まった写真を撮って平選手にサインを入れて頂きたかった…。
エディ・ローソン選手/TECH21ヤマハYZF750
前年までに4度のワールドチャンピオンを獲得。’89年はホンダに移籍していたが’90年はヤマハに復帰。しかし、怪我によりチャンピオン争いから外れてしまったために鈴鹿8耐に参戦する事になった。
「うわっ! 今年はローソン!」と、最強助っ人にファンは沸いた。
現在なら中須賀選手が毎年、バレンティーノ・ロッシ選手やマーベリック・ビニャーレス選手とコンビを組むようなもの。こりゃあファンは集まるわ!
2019年サウンドオブエンジンに来場の際、サインを入れて頂いた
ローソン選手の現役写真は8耐しか無かったので、中でも良く撮れている写真をプリントしたのだった…。
2013年鈴鹿ファン感謝デーにゲストで優勝したYZF750をライディング
カメラ目線を頂いている土曜日の写真に日曜日にサインを入れて頂いた。
2017年鈴鹿8耐メガミュージアムに展示されたYZF750
TECH21ブース(当時)
’85年初参戦のFZRや前年(89年)のYZFと平選手のヘルメット&ツナギが展示されていた。
キャンギャルお姉さん写真はアルバムに貼っている並びで掲載しています。掲載しているチームやメーカーとお姉さんが異なる事が多々ありますのでご了承を―。
1990年鈴鹿8耐のチェッカー
当時の新聞コピー
4位:永井康友/加藤信吾組/Y.R.T.R.YZF750