海外選手が強かった1992年全日本F3000・富士
1992年全日本F3000第2戦・富士。
まだ国際F3000よりも「F1に近いカテゴリー」と呼ばれていた。
参戦したドライバーの1/3は海外からやってきた選手だった。後にF1にステップアップしていった選手も多いというところが凄い。
エディー・アーバイン選手/コスモオイル ローラT92/無限
日本で走っていながら初めてサインを頂いたのはF1に上がってからだった(笑)。
星野一義選手をリスペクトしている姿勢と暴れん坊ぶりが大好きだった。
優勝:パウロ・カーカッシ選手/ALEXELレイナード92D/無限
2位:トーマス・ダニエルソン選手/SUNTORY熱血ローラT92/コスワース
3位はマウロ・マルティニ選手
ミカ・サロ選手/アド・レーシング レイナード92D
日本で走っていながら初めてサインを頂いたのは2012年(!)のフェラーリ・レーシング・デイズだった。
あの時はあまりの変貌ぶりに誰か分からなかった(笑)。
アンドリュー・ギルバート-スコット選手/KYGNUS.TONENレイナード92D/無限
ローランド・ラッツェンバーガー選手//KYGNUS.TONENレイナード92D/無限
全日本F3000やJSPC、JTCにも参戦。
’94にF1にステップアップするも、サンマリノGP予選中の事故により帰らぬ人に。
ジェフ・クロスノフ選手/メイテック DL スピードスター ローラT92/無限
マルコ・アピチェラ選手/オムロン ダンロップ童夢F103/無限
ロス・チーバー選手/PROMISEレイナード92D/無限
8年間日本で走った。’91年はチャンピオン争いを展開した。
チーバー選手がチャンピオンを獲得していないのが不思議なくらい速かった。
星野一義選手同様「プロが金を払って走る事はない」と持参金でのF1シート獲得は蹴っていた。
フォルカー・ヴァイドラー選手/KAWAISTEELローラT92/無限
全日本F3000やGCで、カワイスチールカラー旋風を巻き起こした。
マツダ787Bでのル・マン制覇の貢献者でもある。
’92シーズン途中で突発性難聴により引退を余儀なくされた。残念だ。