バブル崩壊後の’92年 全日本F3000富士/日本人ドライバー&キャンギャル編
バブル経済が崩壊し、スポンサードしていた企業が続々と撤退しはじめていた1992年。
国内レースでは参加チームやキャンギャルの減少傾向にあったものの、まだこの年は持ちこたえていたように思う。
全日本F3000ではシャシーはローラ、レイナード、ラルト、童夢の4メーカー(主にローラとレイナード)、タイヤはBS、DL、ヨコハマの3メーカー、エンジンは無限とコスワース、ジャッドの3種の戦いになっていた。
予選用タイヤも使われ、鈴鹿サーキットではポールタイムはF1の中団くらいに割り込めるほどだった。
全てが共通ワンメイクではなく、ハードもメーカー争いがあったところが魅力的だった。
4月開催の全日本F3000第2戦・富士。
高橋国光選手/ADVANローラT92/無限
サインは昨年(2019年)のスーパーGT搬入日に入れて頂いた
ローラT92はハイノーズになっていて、フロントウイング翼端板の下側は内側に向かって整流版が伸びて「コ」の字状になっていた。ウイング下部を通るエアを全てアンダーボディに招き入れる意図があった。
「市販フォーミュラなのに空力アイデアが盛り込まれているなぁ」と感心した。
鈴木利男選手/UNIVERSALローラT92/コスワース
シーズン2勝したもののリタイアも多く、シリーズランキングは日本人最上位の2位。
服部尚貴選手/TOSTEMレイナード92D/無限
黒澤琢弥選手/CABINローラT92/コスワース
星野一義選手/CABINレイナード92D/無限
’92年は1勝もできず苦悩・不振のシーズンだった。富士の次、第3戦・美祢ではなんと予選落ちさえしてしまった。
マシンもローラ→レイナード→ローラと替え、エンジンも無限からコスワースに変えてみたものの駄目だった。
中野信治選手/PIAAレイナード92D/無限
前年でF1を引退した中嶋悟氏が監督に就任して注目を集めた。しかし、まだ❝元F1ドライバー❞としての❝形だけ❞の監督だったと思われる。
フォーミュラ・ボクスホールでの海外修行から戻ってF3000にステップアップしたものの、チームが注目されてばかりで上手く育てられなかったようだ。
中野選手は結果を残せず翌年には移籍した。
関谷正徳選手/ハギワラレーシング・レイナード92D/ジャッド
バブル崩壊と赤城社長の不正融資事件で「レイトンハウス」は消滅。
萩原光選手の弟でチームマネージャーの萩原任氏がチームを引き継いだ。
赤城社長は不正融資事件を起こしたものの、レース関係者は皆「赤城社長にお世話になった」と話していたそうだ。
田中実選手/PLUSローラ92D/コスワース
富士戦では『ギャルズ・パラダイス』誌創刊号の撮影が行われていた。
創刊号企画の手伝いをしていたので、撮影している横からチョコット撮らせてもらった。
当時は「キャンギャルの本を作るなんて」と馬鹿にされていたが、現在も続く人気誌になろうとは驚きだ。
表紙の撮影
ニッセキのお姉さん
キグナスのお姉さん