待望の世界選手権 ’83年WEC JAPAN 驚愕の黒船・ポルシェ956襲来
F1GPが開催されなくなってから5年。1982年に遂に4輪の世界選手権が日本で再び開催された。世界耐久選手権WEC JAPAN。
ポルシェvsランチアの戦いだった。
残念ながら初開催は観に行けなかった。神奈川に住む友人が観戦に行って写真とプログラムを送ってくれた。
1年後の1983年WEC JAPAN。待望の世界選手権観戦となった。F1をはじめとする世界戦を渇望していたので「ようやく世界の走り、世界のマシンを観ることができる!」という思いだった。長かった6年…。
当時、名古屋に住んでいたので授業が終わってから国鉄の鈍行で6時間半かけて小田原へ。実家の最寄り駅も通り過ぎた。そこから小田急線で友人の待つ秦野駅まで。
夜に友人の友人の車に3人乗車で出発。
Pit-FM78のステッカー
夜の9時か10時頃にFISCO到着。初めてのサーキットで一泊。
時間的に開いているブースはほとんど無かったが、マツダが開けて展示車両を見せてくれていた。
「ル・マン24時間の夜はこの何百倍か凄いのだろうな」と思いながらも興奮に満ちていた。
夜食にグランドスタンド裏で営業していた店舗で焼きそばを購入。グランドスタンドに座ってピットや御殿場の夜景を見ながら食べた。
色は濃いのに全然味がしない焼きそばだった。おかげで「味の足しに」と嫌いだった紅ショウガを食べられるようになった(笑)。
夜に見たマツダブースのRX-7 254 ル・マン参戦車
車の中で3人寝た。
明るくなるとすぐに目が覚めた。決勝日の朝だ。季節柄もう寒い。
トイレで洗面を済ませてブース巡り。
ロスマンズポルシェ956が展示されていて感激。
ポルシェ956自体は一週間前の鈴鹿グレート20レース観戦の時にアドバンポルシェが展示されているのを見ていた。
王者のカラー、ロスマンズはカッコイイ!
予定されていたF1ドライバー、ミケーレ・アルボレート/テオ・ファビ組とリカルド・パトレーゼ/ピエルカルロ・ギンザーニ組のマルティニ・ランチア2台は不参加。前年のような対決が観られないのは残念だった。
グランドスタンドは別料金がかかるので、1コーナー脇の土手席を観戦場所に決めた。
コース脇は人でいっぱいだった。
ローリング&スタート
Gr.Cは速い! 「え? もう1周して来たの!?」という感じだった。
それもそのはず予選でステファン・ベロフ選手が出したポールタイムはコースレコードで1分10秒02だった。
春のGCで星野一義選手が’77年F1日本GPで出したマリオ・アンドレッティ選手の1分12秒23を塗り替えた1分12秒12を記録したが、さらに2秒も速い!
10秒台突入はロスマンズの2台のみ。
スタートからワークス・ロスマンズ・ポルシェの2台がぶっちぎり。
元F1ドライバー3人と期待の若手で編成されたワークスチーム。WECの❝顔❞だ。
ロスマンズ・ポルシェのステッカー B2サイズくらいの大判
ジャッキー・イクス/ヨッヘン・マス組/ロスマンズ・ポルシェ956
ミスター・ルマンと呼ばれるル・マン6勝のイクス選手(F1も経験)と元F1ドライバーのマス選手のスターコンビ。
デュレック・ベル/ステファン・ベロフ組/ロスマンズ・ポルシェ956
ル・マン3勝にして元F1ドライバー、ベル選手とF2ドライバーにしてポルシェ・ワークス期待の若手ベロフ選手のコンビ。
アンリ・ペスカロロ/ティエリー・ブーツェン組/松田コレクションWINNNG RUNポルシェ956
ル・マン24時間3連覇したペスカロロ選手とF1デビューしたてのブーツェン選手のコンビ。
モータースポーツ(2輪4輪)ドキュメント映画『WINNNG RUN』がスポンサー。
映画ステッカーとエブロ1/43ミニカー
サウンド・オブ・エンジンの時にこのミニカーにもティエリー・ブーツェン氏のサインを頂けば良かった~っ!
藤田直廣/バーン・シュパン組/トラスト・ポルシェ956
国内耐久レースを連勝していたトラスト・ポルシェ。
F2&GCドライバーの藤田選手と同年ル・マン24時間覇者シュパン選手のコンビ。
高橋健二/C.シッケンタンツ組/アドバン・ポルシェ956
B・ウォレック/H・ヘイヤー/V.・メルル組/NEWMANポルシェ956
ピットアウトしてきたNEWMANとトヨタ・ミサキスピードCが接触
ピットレーンを示す黄/黒のコーンが飛んでいる。
ミサキスピードCは1コーナーでスピン
ステファン・ヨハンソン/フィリップ・アリオー組/伊太利屋ポルシェ956
当時スピリット/ホンダでF1参戦を果たしたヨハンソン選手とまだF2ドライバーだったアリオー選手。
伊太利屋カラーも綺麗で格好良かった。
P.ヘン/高橋国光/J.ポールJr.組/アルファ・ポルシェ956