一生の思い出 '76 F1 in JAPAN スーパーカー目当てでレース初観戦
古い写真、しかもブレブレばかりです。悪しからず。
1976年に開催された「 F1 in JAPAN」がレース初観戦。
純粋に「F1を観たい!」と思ったのではなく「東洋で初めて開催される大きな自動車イベントなら❝いい車❞(当時はまだスーパーカーの呼称が無かった)に乗った人が来るだろう」と、スーパーカー観たさに出かけたのだった。
スーパーカーショーもまだ行われておらず、雑誌の広告に載っている首都圏の外車ディーラーには行けないし❝近場❞で観られる手段の一つだった。
何より「子供は何人でも1,000円」の料金が良かった。
隣に住む同級生と彼の弟、弟の友人の計5人で出かけた。ーなのでF1を200円で観られた事になる。そりゃ赤字大会になるわ!
チケットも五等分した
同じ県内東部ではあるが、子供同士だけで御殿場までレース観戦に行くなど親の反対が無いわけではなかった。ーが、押し切ってしまった。
誰も行ったことが無い場所に大雑把な時間計画の元、早朝に出発。朝から雨だったのでカッパは着ていた気がする。
国鉄・沼津駅から御殿場線に乗り換えて御殿場駅まで。そこかバスに乗る予定だった。
ところが発着場はバス待ちの人であふれかえっていて、バスもいつ来るか分からない状態。それならタクシーで―と、直接タクシー会社事務所まで行ったものの、これまたいつ車が戻ってくるか分からない状態。
「行ける所まで歩いて行こう」と歩き出した。これが若さか…。
歩き出してみて分かった。御殿場市内にまで続く大大渋滞だった。
道は分からずとも渋滞している車沿いに歩いて行けばいい。目的地までの距離を知らないからできたのかもしれない。
渋滞している列の中に『サーキットの狼』に出てくるようなスポーツカーはいないものかと探しながら歩き続ける。
ハコスカやケンメリのGT-Rは当時でも珍しかった。が、外見的特徴が無いのでエンブレムだけ付け替えているかもしれない。ハコスカGT-Rに乗っていたお兄さんに「本当にGT-Rですか?」と聞くと、「本物だよぉ」とニヤニヤしながら答えていたのを覚えている。あの笑いは…?
歩き進みながら持って来たおにぎり🍙を食べたり、ガソリンスタンドでトイレ借りたりした。靴の中は既に濡れてぐちゃぐちゃ。それでも尚、渋滞している車よりも速いペースだった。
富士霊園に続くゴルフ場横の直線に入るくらいでようやく車が流れ出した。
ようやく目的地・富士スピードウェイに到着した。何時間かかったのか分からない。
ところがサーキットのゲートをくぐってからがまた長い。走っている爆音は聞こえてくるのだが、全然コースが見えて来ないのだ。
背景や雰囲気もお楽しみください
ようやく最終コーナー脇にたどり着いた。高橋徹選手の事故以来、現在では観戦ができないエリアだ。
生まれてこのかた、聞いたことが無いほどの爆音を上げて走るF1マシン。水しぶきとともに一瞬で通り過ぎる速さ。「なんだこれは⁉」
最終コーナー内側の駐車場に停まっていたコルヴェット
後から雑誌を読むとスタートが何時間かおしたらしいのだが、タイムスケジュールなど良くわかっていなかったので、走っていない時はウロウロしてスポーツカーを探したり友人とお喋りしていた。
開会セレモニーのハーレー編隊走行 気が付けば流し撮り
レースがスタート。単独ではなく集団となると爆音が増大。鼓膜が引き裂かれそうだ。
ところが、スタートしたと思ったら、また停まっている。「あれ?」 思えばフォーメーションラップだったのだ(笑)。
長谷見昌弘選手/コジマKE007
レース展開など良く分からない。爆音の合間かすかに場内放送が聞こえる程度。
でも観ているだけで面白い。引き込まれる魅力があった。
スタート後、しばらくして場内が異様な騒めきに包み込まれた。
どうやって知ったか覚えていない。場内アナウンスか近くで観ていた方からか…。チャンピオン争いをしていた「ラウダ」がリタイアしたらしいのだ。
「四輪の神3」のひとりと崇めるニキ・ラウダ選手/フェラーリ312T2の写真もこの1枚限り
ヨッヘン・マス選手/マクラーレンM23
「四輪神3」の二人、マリオ・アンドレッティ選手/ロータス77とジェームス・ハント選手/マクラーレンM23
ビットリオ・ブランビラ選手/マーチ761
チャンピオン獲得に向けて走るジェームス・ハント選手/マクラーレンM23
レース終盤には雨が上がり、パドックに向かう道の脇にある土手から観た。
霧が晴れて1コーナーの先にある山々が見え始めていた。
ストレートをカッ飛んでいくマシン。木霊する排気音。美しい光景として記憶に刻まれている。
いつの間にかレースが終わったらしい。
優勝は「アンドレッティ」でチャンピオンは「ハント」らしいと友人が教えてくれた。
大会は終わったが、我々はこれで終わりではない。まだ帰りがある。
レース終了時間がおしたため❝バスの最終❞が終わってしまっていた。レース最後までバスは待っていてくれなかったのだ。なんということだ。
交通手段を持たない子供にとって大ピンチ。
ここでメンバーの一人が「親戚が須走で民宿をやっているから連絡してみる」と提案してくれた。「須走」がどの辺りなのか分からないが。
次は電話機探しだ。メインゲート脇にあったか、事務所で借りたかは覚えていない。
なんとか連絡が取れて親戚の方が民宿のバンで迎えに来てくれた。その頃には空は暗くなっていた。暗い空。車のライト。迎えに来てもらった安心感を覚えている。
一旦、須走の民宿に寄せてもらい暖を取り木の葉丼もご馳走になった。みんな家に連絡を入れた。TVで好きだった『円盤戦争バンキッド』を観たので、そう遅い時間ではなかったと思う。
民宿の方が家まで送って下さった。本当に感謝している。後から親がお礼をしてくれていたと思う。
こうして長く刺激的な、そしてドルフィンをモータースポーツに引きずり込む—人生を変えた1日が終わったのだった。
あの日、F1を観に行っていなかったら、スーパーカーブームの終焉とともに車好きも終わっていたかもしれない。


















