延期になったので 右京選手初優勝 1991年 鈴鹿2&4レース  | CLUB24-にいよんー

延期になったので 右京選手初優勝 1991年 鈴鹿2&4レース 

 スーパーフォーミュラ開幕戦・鈴鹿2&4レースが延期になってしまったので、「2&4レース」を観に行った時の写真を掲載。

 鈴鹿へはF2やF3000レースを観戦に行っていたが「この時付き合い始めた彼女と一緒に行ったなぁ」などと思い出に浸る。

 鈴鹿で仲良くなった友人も彼女を連れて来ていたので、レース後に合流して遊園地入り口近くにあったレストランでおしゃべりしたな。

 

全日本F3000

 この当時のF3000は特異的な進化を遂げていて—

 シャシーはローラ、レイナード、ローラ、ラルト、童夢、レイトンハウスの6メーカー。加えて最新技術が投入された新車、熟成された旧車が混ざっていた。

 エンジンは無限、DFVの二種だが、数社のエンジンチューナーによって特性が異なっていた。

 タイヤはブリヂストン、ダンロップ、ヨコハマの3社。Qタイヤと決勝タイヤがあった。

 この組み合わせは覚えきれなかった。

 バブル期で参加台数が多く、予選落ちもあった。

 予選落ちをすると決勝日にはピットにはマシンとキャンギャルだけがいるという状態だった。

 このF1にも劣らぬハード面の競争もF3000の魅力だった。年間11戦あったが集客力はあった。

 

片山右京選手/CABINローラT90/50/DFV/BS

 ヒーローズレーシングに移籍して2年目。開幕前から「チャンピオンを獲得してF1へ」と噂されていた。

 右京選手のローラT90は近年、サウンド・オブ・エンジンでも走行している。

 ローラT 90はF3000マシンの中でも一番好きなマシンだ。

 

星野一義選手/CABINローラT90/50/無限/BS

 前年にチャンピオンを獲得。

 ’91年は優勝2回と2位1回あるが、他は全てリタイアだった。

 マシンカラーは右京選手と同じキャビンだが、チームはホシノレーシングで別。

 

小河等選手/KYGNUS.TONEN.ローラT90/無限/BS

 ’89年チャンピオン。

 優勝は生涯1勝だが常に上位入賞していてシリーズランキングも必ず上位に食い込んでいた。

 このレースでもスタート直後から右京選手の背後にピッタリと付けていたが、最後まで右京選手を崩しきれなかった。

 

シケインで服部尚貴戦選手が接触によりクラッシュ

 

 付き合い始めた彼女とレース観戦は初めてだったので、動き回らずシケインで観戦。

 当時はまだ立派なスタンドではなく、最終コーナースタンドのようにコンクリートの段差だけだったと思う。

 

エディー・アーバイン選手/コスモオイル・ローラT90/無限/ヨコハマ

 2年後の’93年にF1デビュー。日本で走り日本のF3000を高く評価してくれていたアーバイン選手のF1昇格は嬉しかった。しかも日本GPで。

 F1日本GPで首位争いのセナ選手とヒル選手の争いを「遅いから抜いちゃっちゃよ~ん」状態は痛快だった。

 

ロス・チーバー選手/PROMISEレイナード91D/無限/BS

 長く日本で走り、優勝はもちろん常に上位にいたので人気も高かった。

 F3000デビュー後4年間は童夢で走っていたが、ロス・チーバー選手はその後のレイナードのイメージが強い。

 

関谷正徳選手/レイトンハウス・ローラT90/無限/BS

 シリーズ途中でレイトンハウスのオリジナルシャシーのスイッチする。

 

関谷選手に頂いたサイン

 サインペンの出が悪く、この日に頂いたサインはみんな霞んでしまった。

松本恵二選手に頂いたサイン

 

優勝:片山右京選手

 右京選手はF3000初優勝。2位となった小河等選手は憮然とした表情のまま。

 右京選手の初優勝レースを見られて感激。

 モーター誌でフランス修行時代からコラムを連載していたので、ずっと応援していた。

 第2回サウンド・オブ・エンジンにゲストで来られた際に、サインを頂いた時に「フランス時代から応援してきましたよ」と、お伝えすると、周囲にいたファンの方々も「そうそう」と同意して下さった。共感して頂き「みんなそうなんだ」と嬉しかった。

 

サウンド・オブ・エンジンで初優勝の写真に右京選手のサインを入れて頂いた

 「この(ポーズの)写真、僕も持ってますよ」と右京氏。