MFJ-GPとフレディ・スペンサー選手の思い出
今週末は全日本ロードレース最終戦・MFJ-GP。
と、いう訳でMFJ-GPの昔話を―。
とは言ってもMFJ-GPを観戦したのではない。2輪4輪問わず「グランプリ」のタイトルがかかると観戦チケット料金が上がる。
’80年代に学生だったドルフィンはそこまでの資金が無い。特に秋は4輪WEC世界耐久選手権をFISCOまで観戦に行くのでなおさらだ。
そこでテスト走行を観に行くことにした。
現在のようにスケジュール告知されたテスト走行ではないので「決勝開催日前の木~金曜日あたり」に行ってみたりしたのだ。
当時住んでいた名古屋市から友人とバイクで名四国道を使って鈴鹿サーキットまで走って行った。
年代が分かるように写真のプリント年を残してあります
’86年MFJ-GP練習走行は大当たり。
特別参加する世界チャンピオンのフレディ・スペンサー選手が鈴鹿サーキットに来ていたのだ。
これまた現在のピットのようにシャッターやパーテーションで封鎖されたピットではない。パドック側から丸見え状態のピットの奥に世界王者がたたずんでいたのだ。
もう舞い上がってしまった。このすぐに舞い上がる性格は今でも変わらない(笑)。
世界チャンピオンのオーラの圧が凄くて近寄りがたい。
「行っていいのかな」「目が合ったらそのタイミングで行こうかな」と、友人と遠巻きにうだうだしていた。
タイミングが見つからず、このままではいけない!
意を決してチャンピオンのところまで行ってサインをお願いした。
流石は世界チャンピオン。笑顔でキッチリとしたサインを書いて下さった。懐が大きい。
2輪4輪通して初めて世界チャンピオン経験者からサインを頂いた。もう嬉しくてうれしくてたまならなかった。
フレディ・スペンサー選手のサイン
だが’86年のMFJ-GP当日にフレディ・スペンサー選手の姿はなかった。
怪我のため欠場し帰国してしまったのだ。
TV放送の解説を務めた片山敬済氏が怒りを露にした有名な「嘘つきフレディー」発言はこの時のもの。
今なら欠場してもトークショー等のファンサービスは求められるのだが…。
この年はスペンサー選手だけでなく、ワイン・ガードナー選手、アレックス・ポンス選手(だったかな?)も来日した豪華な年だった。
ガードナー選手のNSR500
ワイン・ガードナー選手は500ccクラスとTT-F1クラスにダブルエントリー。
ガードナー選手は鈴鹿8耐でTT-F1のRVF750も走り慣れている。
アレックス・ポンス選手
全日本500ccクラスでホンダのエース木下恵司選手
木下選手も今年のレジェンドライダー・デモレースに出場して欲しかったな。ファン感とかゲストに来て欲しい。











