一番カッコイイF3000 & F1より速いF3000 鈴鹿サウンド・オブ・エンジン
鈴鹿サウンド・オブ・エンジン「LEGEND of Formula1」ではF1に混じってF3000マシンも3台走行した。
キャメル・ローラT90/50/無限
ドルフィンが思う一番カッコイイF3000。F1に混じっていようがすぐに分かる。
キャメル・カラーは全日本に無かったので「たぶんインターサンゼンだな」と思った通り、1990年の国際F3000選手権にヴォルテックス・モータースポーツからエントリーしていたハインツ・ハラルド・フレンツェン選手のマシンだったようだ。
ベネトンF1が採用していたコクピットの横のエアダクトをパクっているところが特徴でありカッコイイところだ。
フロントもややハイノーズ気味。フロントウイング翼端板はボルテックス・ジェネレータ形状で、正面から見るとウイング下面を四角く空気を取り込むような形状になっている。
全日本では星野一義選手が、国際F3000ではエリック・コマス選手がローラT90でチャンピオンを獲得した。
当時、F2・F3000では毎年新型がリリースされていたが、後継機T91/50は大きな変更はなされなかったが、新車T91から熟成されたT90に乗り換える選手も少なくなかった。それほど秀逸なマシンだった。
マーチ88B/コスワースDFV
F1直下のクラスがF2からF3000に変更されたのが1985年。日本では正式に‘88年から選手権がかけられた。その年にマーチ社がリリースしたマシン。
だがマーチ88Bは不振で、マーチのユーザーチームはシーズン途中からローラやレイナードに切り替えてしまった。
現役スーパーGTドライバー阪口良平選手がドライブ。「Legend of Formula 1」デモレースでは幾多のF1マシンに混じって走行。優勝してしまった。エンジンは同じコスワースDFVだ。
ネットニュースによると「使用履歴の無い車体」だったらしい。どこまでが「使用履歴が無い」とするのだろう? 鈴鹿HPには「テストカー」とされていたりもする。実戦経験が無いだけで開発テストには使用されていたのか、全くの❝新古車❞なのかによっても金属疲労が違うはず。
それでも走行可能状態にするには高度なメンテナンスが必要だ。
F1より速いF3000マシンとなり「失敗作」と言われた当時の無念を少しでも晴らせただろうか?
レイトンハウス・マーチ90B/コスワースDFV
F1に進出したマーチのスポンサーからチームを買収するまでになったレイトンハウス。
F3000では顧客の大半がローラやレイナードに流れてしまったため、全日本に参戦するレイトンハウス・チームのためだけに造られたマシン。
1991年に関谷正徳選手がドライブ。
一時期はサーキットに留まらず街中にも溢れたレイトンブルーが懐かしい(ドルフィンはベネトン派だったが)。これもバブル期の名残だ。
今回はF1と混走(昔のヨーロッパ大会みたい)だったF3000。日本国内にはまだまだ多くのF2やF3000が走行可能状態で残っているのだから、F3000ももっと集めて走らせてもらいたい。
もちろん、ラルト/ホンダも。