初の日本公開走行 コジマKE007 41年ぶりの鈴鹿 サウンド・オブ・エンジン
コジマKE007―日本で開催された公式F1レース「'76 F1inJAPAN」にスポット参戦した国産F1マシン。
富士スピードウェイに照準を合わせて作られたKE007は、金曜日の予選1回目から絶好調。
当時、脂がノリにノッていた長谷見昌弘選手の完璧なタイムアタックでポールポジションを狙える区間タイムを出していた。
午後の予選で日本人ドライバーと日本の技術が最速と証明されるまであと数秒のところだった。突然マシンはコントロールを失ってクラッシュ。
それだけでも一つの❝伝説❞だが、このストーリーはそれだけでは終わらない。
SV009に乗るケン・アカバみたいだ
スペアカーが無かったために残骸と化したマシンを修復することになった。
FISCO周辺にある「大御神レース村」と呼ばれる幾つかあるレーシング・ガレージから誰に言われるでもなく助っ人が無償で集結。限られた時間と資材で修復作業が始まった。
日本製マシンをスターティンググリッドに付けようとする情熱がそこにはあった。
不眠不休の作業により決勝日の朝にはマシンは形を成した。
このストーリーが後々まで語り継がれるKE007の❝伝説❞をより確立させたのだった―。
行方不明だったKE007がほぼスクラップ状態で発見。数年がかりでフルレストアされ2004年のグッドウッド・フェスティバルで長谷見氏のがドライブ。
日本では2007年に富士スピードウェイで開催されたF1日本GPや2013年に映画『ラッシュ/プライドと友情』公開キャンペーンでも展示された。―が、いずれも関東圏での出来事。
2016年の大阪オートメッセのNGKブースに展示されてようやく…ようやく40年ぶりにその雄姿を目にすることができた。
今年の鈴鹿サウンド・オブ・エンジン開催直前になって急きょ参加が発表された。
「ついに走るところが観られる!」しかも当日のゲストに長谷見昌弘氏が来られるじゃぁないか! もし長谷見氏が走ってくれるのなら大事件だ。一気にテンションが上がった。
当日の天気予報は不動の「雨」。
普通なら憂鬱になってしまうところだが、KE007が来るなら違ってくる。F1inJAPAN決勝も大雨だったからだ。
KE007・長谷見・雨―これらのキーワードがそろっていて燃えないはずがない!
期待に胸を弾ませて当日を迎えたが、現地でとある情報筋から「長谷さんは乗らない」と教えてもらってチョット…いや、本当は大きなショックだった。「走るところを観られるだけで十分じゃぁないか」と自分に言い聞かせた。
午前の走行ではウエット路面のために出走せず。午後の走行時間になってようやくコースイン。激感エリアからその雄姿を撮影した。
5月に富士スピードウェイで開催されたイベントでは予定されていた走行が行われず、今回が日本で初の一般公開走行になるようだ。
雨が止んだとはいっても厚い雲によってサーキットは薄暗くなっていた。それもまた'76年のあの日を思い出す。一番感慨深い時間だった。
日曜日のフィナーレパレードでグリッドに付いたKE007
'76年10月のF1inJAPAN開催に先立つ7月に鈴鹿サーキットでテストを行った。
これは1/43ミニカーのKE007に「鈴鹿テスト仕様」が出ていることでも知っていた。
今回の走行は「41年ぶりの鈴鹿サーキット」と場内アナウンされていた。
長谷見さんが乗らないのなら、せめてドライバーさんのヘルメットは❝黒❞であって欲しかった。
単なる展示ではなく❝生きている❞マシンはやっぱり良い!
KE007を見る事ができたら、次はKE009が見たくなる。
KE009は海外に行ってしまっているが保存状態がどうなっているのか良く分からない。
コジマのマシンが2台そろって走ってくれないだろうか? ドライバーはもちろん長谷見さんと星野さんで。高原さんもいいな。
サウンド・オブ・エンジンが続けば、そんな夢も実現するかもしれない。
ドライでもレインタイヤで走行。レインしか用意が無かった?