2輪の神様 ケニー・ロバーツ氏 8耐の鈴鹿に降臨 動画もあるよ
半年前―。今年の鈴鹿8時間耐久オートバイレースは40回記念大会なので、各メーカーMotoGPやWSBからライダーを呼ぶだろうと期待していたし、メディアも煽っていた。
今年こそ、バレンティーノ・ロッシ選手が参戦してくれるかな? と勝手に期待していた。
だが、日本4メーカー各チームが体制発表する度に期待していた大物の名前は無かくガッカリしていた。
テンション下がり気味のドルフィンを一気に目覚めさせたのが「ケニー・ロバーツ氏来場決定!」のアナウンスだった。
ケニー・ロバーツ氏はドルフィンにとって2輪の神様。まだ本戦まで2ヶ月近くあるというのに、ドキドキして眠れなくなるほどだった。
土曜日 メインステージでのトークショーでのケニー氏
土曜日のメインステージでの「8耐&WGPレジェンドライダートーク ~K.ロバーツ~」。
登壇してきた姿を見てビックリ。テック21シャツに麦わら帽にサングラス。ドルフィンも同じ格好だったのだ。まるでコスプレしているような。
嬉しかった~。
この服装でツーショット写真を撮らせてもらいたかったぁ~!
トークショーでは最初に鈴鹿8耐の打診を受けた時―
「2ストロークのレーサーに乗っていたので、4ストロークのストリートバイクに乗る気はなかったんだよ。ところがヤマハが『これはワークスマシンだから』と説得してきたんだ」
「8耐でレーシングスーツが何着も必要だって誰も教えてくれなかったんだよ。いつもどおりスーツ1着、ヘルメット、ブーツ1組、グローブ2組しか持って行かなかったものだから、走り終わって次にまた走る時に汗で濡れたスーツを着るのが気持ち悪かったね(笑)」
―と、当時を振り返った。
動画で少しトークショーを載せています。
1985年鈴鹿8耐でケニー・ロバーツ選手と初遭遇!
若き日のケニー選手。カッコイイなぁ
世界王者と全日本王者がペアを組む―のが楽しみで観戦に行った1985年の鈴鹿8耐。観戦2回目だった。
予選を終えたのでプールにでも行こうと遊園地内に行った時、ケニー選手が歩いてホテルに帰るところに遭遇。
サインを求めたがスルーされてしまった。ガッカリ…。
逆にケニー氏への想いは募るばかり。
初めてのマシンでコースレコードって…神様は凄い
ケニー氏に初めてサインを頂けたのは近年。2012年の鈴鹿サーキット50thアニバーサリーデーの時。27年の時を経てテック21ヤマハYZF750をライディングしている写真にサインを頂いたのだった。
益々ケニー氏崇拝の思いが強くなるのだった。
テック21のお姉さん❤
'85年鈴鹿8耐。キャンギャルの出始め期。まだローレグで足元はスニーカー。
今回もケニー氏に会えるかな? 会えたらいいな―と、運に期待して鈴鹿に向かったのだった。木曜日から既に鈴鹿入りしていると、鈴鹿サーキットのTwitterに書き込まれていたので、期待度もアップ。
金曜日。遠くでチラリを見かけた後姿。
「あッ!」と瞬間的にダッシュした。
分かるんです。オーラで。偉大な功績をあげた人物は歳をとろうが太とろうが、後姿だけであろうが、常人とは異なるオーラを放っているので直ぐに分かるのですよ。
ケニー氏だった。無精髭を生やしていたので「歳とられたな」という感じは否めなかったが、神様は健在。
選手時代はスルーされたが、今は丸くなってサインや写真撮影も快くOKしてくださり。「アリガトウゴザイマス」と日本語で言って下さる。
テック21ヤマハの写真には以前にサインを頂いていたので、今回は翌年のラッキーストライク・ヤマハYZF750の写真にサインを入れて頂いた。
土曜日の夕方―まだ明るい6時30分からグランドスタンド前で前夜祭「YAMAHA TECH21 FZR750 × KING KENNY~1985年の衝撃~」が始まった。
歴代テック21ヤマハYZF750が並ぶ。実際に走らせたのは’85年型0W74。
ケニー氏が登場。今度は当時のテック21カラーのレーシングスーツだ。
うっひゃ~! このイベントの為に作り直すとは凝ってるねぇ。嬉しいなぁ。
グランドスタンドに集まったファンの熱気が瞬時に高まる。
「ケニーッ!」と野太い声を上げるオジサンも少なくない。もちろんドルフィンもそうだ。声が口をついて出てしまうのだ。
「僕は日本語が分からないから、あの時(平選手が止まった時)何が起こったか最初は分からなかったんだ。でも、スタッフみんなが泣き出してようやく事態がつかめたんだ。大人の男がみんな泣くなんて初めての経験だった」
と、当時を話した。
ピエール北川さんの「今だから話せるエピソードを一つだけ教えてください」との投げかけに
「色々あるけど、話しちゃったら問題になるからなぁ」と封印。
「口が堅いなぁ」とピエールさんも参った。
ヘルメットはアライ。現役当時agvだったが現在ではアライからレプリカヘルメットも発売されている。
当時、平忠彦選手がライディングしていたテック21ヤマハが止まった午後6時58分に合わせて、ケニー氏が後を引き継いで走り出すという趣向。
3周してチェッカー。ピットロードに入る予定がメインストレートを爆走。もう1周走行してくれた。
ファンサービスもあるが、ケニー氏自身が走りたかったに違いない。好きなのだ。
・テック21ヤマハYZF750エンジン始動
・ケニー・ロバーツ トークショー
・前夜祭~1985年の衝撃~
のダイジェスト動画です。
こうしてテック21スタッフシャツとゼッケンは次にケニー氏か平さんにお会いできる時まで再び眠りにつくのだった。