スカイライン・ターボCと'83WEC JAPANの赤旗終了
WEC JAPANのプログラム
F1開催が無い空白期に日本で唯一の世界選手権だった世界耐久選手権・WEC。
初回こそ観戦できなかったが、第2回大会の'83年から連続観戦した―鈴鹿でF1が開催されるようになった'87年まで―。さすがに秋に2回の世界選手権観戦は資金が続かない。
第2回大会からはプライベーターのポルシェ956や日本勢も大挙エントリーして盛り上がりを見せた。ランチアは来日しなかったが。
その中でもニッサン・スカイライン・ターボCを観られる事は、スカイラインRS好きにとってはとても楽しみだった。
スーパーシルエットのように市販車の面影を強く残すGr.Cカー。それもフロントに3枚フィンを持ったスカイラインRS前期型の顔をしてくれているのがたまらない。スーパーシルエットでは市販車後期のRS-Xタイプの鉄仮面になってしまったので、前期型の顔つきでいてくれるマシンは嬉しい。
第一コーナー手前の土手で観戦していると、スーパーシルエット同様、アフターファイヤーを吹き上げてくれる。「絶対に綺麗に写真に残したい」とタイミングを図るのに懸命だった。
当時はフィルム写真。撮った後は現像・プリントとさらに出費があるので、持って行くフィルムの本数も限られていた。現在のようにデジカメで撮影枚数も多く連写で勝負できない分、当時は1回のシャッターに込められた気持ちは大きかったはずだ。
エブロ1/43ミニカーで仕様が異なる数種が発売されたが、もちろん富士WEC仕様を購入した。
2014年のスーパーGT鈴鹿テストで長谷見昌弘氏にサインをお願いした際は「懐かしい車だねぇ」と話されながらサインを書き込んで下さった。
’83年WEC JAPANも残り周回数も僅かとなった頃、グランドスタンドが解放されたので入ってみた。
するといきなり大きな爆発音がコース上から聞こえた。瞬時にカメラを向けてシャッターを切った。
もちろんフィルムもモータードライブなどなく手動である。
トヨタ・トムス83Cのタイヤがバーストしていた。このレース中、トムス83Cはフロントカウルを破損してスペアが無かったため姉妹車の童夢RC83のフロントカウルを装着して走行を続けていた。
トムス83Cはリアタイヤのバーストでコントロールを失い、ピットレーンのガードレールに激突。真っ二つに折れてリア部がコクピットの上に落ちるという大惨事となった。が、ドライバーの松本恵二選手は無事にコクピットから脱出してきた
レースは赤旗で終了となった。
トヨタ・トムス83Cクラッシュの連続写真
モーター誌でWEC JAPAN写真コンテスト募集があり、ドルフィンはもちろんこの写真を応募した。
発表の1号前のWEC JAPAN特集号で「タイヤバーストの危険」としてドルフィンの写真が紹介されていた。「ここで使われるということは、賞には入っていないな」と察してしまった。
翌号の結果発表ではその通り、賞には全く引っ掛かっていなかったのだった…。
トヨタ・トムス83Cの破片
全車パドックに帰還し事故車の処理が行われた。表彰式の準備が行われ始めたタイミングで悪ガキ・ドルフィンたちはコースになだれ込んだ。
この時に拾ったトムス83Cの破片は今でも大切に保管している。
フロントマスクが童夢になったトムス83Cのミニカーは発売されていなかったのではないかと記憶する。
表彰式。左からJ・マス、J・イクス、D・ベル、S・ベロフ、藤田直廣、V・シュパンの各選手
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