第三期F1挑戦・苦闘の始まりB.A.R.ホンダ ファン感謝デー~伝説の物語3
マシンを“チャック”で半分に仕切って別々のカラーリングが成されたブリティッシュ・アメリカン・レーシングのF1マシンB.A.R.001。1999年の日本GPでは“変わりカラー”のマシン撮影に懸命になった。
F1レース自体はチーム格差が広がり、決勝レースは同じカラーのマシンが2台ずつ走行するパレードになってしまっていた。
そんなパレードを高いお金出して見に行くのも馬鹿らしく感じ、'76年のF1inJAPANから皆勤だった観戦を止めることにした。
その翌年からホンダが第三期F1参戦を開始したのだった。
第二期参戦が黄金時代だっただけに、入賞すらおぼつかない第三期は苦闘の時代になった。
B・A・R・Honda 007(2005年)
B.A.R.として最後のマシンになった007。初優勝どころか前年の成績以上のものは残せなかった。
タイレルを買収して組織されたB.A.R.だが、タバコ広告規制が強くなり筆頭株主であるアメリカン・タバコが撤退。ホンダがチームを取得してオール・ホンダのチームとなるのだった。
京商1/43ミニカー、B.A.R.007 ジェンソン・バトン車。優勝や佐藤琢磨選手の表彰台も無く、目立った成績を残せなかったせいか、ドン・キホーテで1,000円で販売されていた…。
現役レースは見ていないが、1,000円だったのでミニチャンプス型のケース目当てで購入した。
チームのエースだった世界王者ジャック・ビルヌーヴ選手が最終戦を残してチームを離脱。リザーブ・ドライバーの佐藤琢磨選手が日本GPに出場。バトン選手の4位、琢磨選手の6位とダブル入賞した。
B・A・R・Honda 002(2000年)
ホンダRA000Eエンジンでエンジンサプライヤーとして第三期参戦を開始。
表彰台には届かなかったがコンストラクターズランキングで5位になった。
マシンのスタイルやカラーリングからすると、どうにも速そうに見えない。
鈴鹿サーキットで展示されているアースカラーのF1はこのマシンを塗り替えたのではないだろうか?


