40周年記念モリワキ祭 モリワキ歴代マシン展示編 | CLUB24-にいよんー

40周年記念モリワキ祭 モリワキ歴代マシン展示編

 40周年記念モリワキ祭のメインステージ前には「モリワキ ヒストリー館」が設けられていた。

 その時代、そのクラスで輝きを放ったモリワキのレーサーが展示されていた。

 鈴鹿サーキットのイベントで見られるテント展示ではなく、キッチリ四方の“壁”も作られた仮設小屋になっていた。大切に保管されているレーサーであることが伺える。

 当日、寒くなる事も考慮されストーブも用意されていた。

 

MORIWAKI ME125W 1977年

 ホンダCB125JXをベースにダブルクレードルタイプのモリワキフレーム第一号を製作。

 エンジンンも水冷用オリジナルシリンダーを製作した。



MORIWAKI Z1000 全英選手権仕様 1981年

 アメリカ・デイトナ100マイル、200マイル参戦仕様のまま全英選手権に参戦。ライダーはワイン・ガードナー。

 デイトナのアップハンドル仕様だったため、パドックでは嘲笑の的に。

 「レースで見返してやる」の言葉通り、第一戦カドウエル・パークのヒート1優勝、ヒート2位となり注目された。

 

MORIWAKI MONSTER Z 8耐仕様 1981年


 自社設計・製造のアルミパイプフレームにカモリワキチューンのワサキZを搭載したオリジナルレーサー。

 幾多のワークスマシンが参戦していた’81年の鈴鹿8耐で、ワイン・ガードナーがコースレコードでポールポジションを獲得した。
 「世界にはとんでもない人間がいる。クロスビーに続いてガードナーという無限の可能性を感じさせる若者にまた出会ったと正直思った。マシンはライダーが進化させるもので、我々はそのライダー達の進化の手助けをしているに過ぎない」と森脇社長は語った。



YOSHIMURA MORIWAKI GSX1000 1983年

 ヨシムラエンジン+モリワキフレームの「夢の組み合わせ」。

 グレーム・クロスビー/ロブ・フィリス組は'83年鈴鹿8耐のポールポジションを獲得した。

 決勝はエンジントラブルが出て修復作業に追われるも13位フィニッシュ。

 この「夢のコラボ」は漫画『ふたり鷹』でもデイトナ参戦のエピソードで登場。「全日本(オールジャパン)」のエントリー名は、涙がこぼれるほど感動した。


 

MORIWAKI ZERO X1 1984年

 宮城光が'84年に全日本TT-F3(400㏄)クラスで使用したZERO-X1。

 TT-F1クラスの八代俊二とともに2クラス・ダブルチャンピオンを獲得した。

 

MORIWAKI VX7 1990年

 本来はリア片持ちスイングアームの「プロアーム」を採用していたベースのホンダRC30だが、森脇社長が「バイクのサスは両持ちが一番良い」と、フレームだけでなくサスも自社制作した。

 モリワキの8耐固定ゼッケンになっている「19」は、この当時のメインスポンサーだったNTTによる「トークの日」にちなんだもの。

 

MORIWAK MH80 1988年

 ホンダNS1の車体とCR80MXのエンジンを組み合わせたGP80クラスのレーサー。

 「できるだけコストを安く、より多くの方にバイクを楽しんで頂く」「ライディング技術向上のためのツール」という2つのコンセプトに基づいて製作された。

 

MORIWAKI MD250 2008年

 J-GP3の前身であったGP-MONOクラス用モリワキオリジナルのレーサー。

 乃村康友選手がほぼ市販状態で全日本チャンピオンを獲得した。


1978年頃の鈴鹿8耐やデイトナ参戦時のパーツやストップウォッチ

ガードナー選手1987年ワールドチャンピオン獲得記念パネル シリアルナンバー「1」

 

MORIWAKI MD250H 


 出展していた「Jトレード」ブースにあった「オーストラリアのホンダショップで発見した」という1983年のカストロール6耐、サーファーズパラダイス3耐で「ガードナー氏がライディングしたで“あろう”」ホンダVF750

 モリワキに見出されるキッカケとなったバイクだ。



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