我が青春のシンプソン~チームで参戦・レーシングカート編
鈴鹿8耐に参戦ているKTMをスポンサードしいている漫画『ばくおん!!』。読んでいるうちに来夢先輩が被っているシンプソン・ヘルメットが懐かしくなってしまった。
こうして書き始めた「我が青春のシンプソン~バイク編」から1年以上ぶりの更新。
'80年代前半に多くのF1ドライバーと契約したシンプソンは一躍世界にファンを広めた。その独特形状から「ダースベイダー」と呼ばれたりもした。
まだガキだったが、雑誌で見たF1ドライバーのヘルメットがカッコ良く「いつかはシンプソンを被ろう」と決めていた。
サーキット秋ケ瀬で開催されたコジマブレーンファクトリーのカート試乗会
購入初代のシンプソン・バンデットが古くなったので社会人になったのを機に新しいヘルメットを購入した。
口元にスリットが無く、左右にスリットが入ったタイプ。
バイザーにはベネトンのステッカーを貼っている。
学生時代から乗っていたHONDA MVX250Fに乗る時に被っていたが、ほとんどはレーシングカートに乗る時に使用していた。
東京の会社に転職した時に、中学生時代からの友人「O」―スーパーカーショーやレース観戦も行った―が「レーシングカートに乗らないか?」と誘ってくれた。
中学生の頃に「レーシングカートやって、ゆくゆくはレーサーになりたい」なんて夢を話していた仲だ。
サーキット秋ケ瀬で開催されたコジマブレーンファクトリーのレーシングカート試乗会に参加した。カートのプロショップだが、後にバラエティTV『とんねるずの生でダラダラいかせて』の人気コーナーでアイルトン・セナ選手も参加した「生ダラ カート対決」で車両・技術協力していたと言えば分りやすいだろう。
試乗会で初めてレーシングカートに乗った。そして魅力に取りつかれてしまった。
友人「O」がもう一人、仕事関係の男を連れて来ていた。―後にチームを組むときに“隊長”になる人物だ。
試乗会での興奮が醒めきらず、埼玉から神奈川の大磯(だったか?)にできたフォーミュラ・クラブにまで走りに行ったほどだ。
サーキットワールド御殿場でのFK-9シリーズ 現在はプレミアムアウトレットになっている場所
当時流行った「3Dに見える写真」で撮影
カート試乗会には何度か参加。仲間も増えていった。
そしてヤマハが立ちあげたFK-9の耐久戦にチームを組んで参戦する事になった。
友人「O」の誘いが発端になって「チームを組んでカートレースに出る」夢が叶った。彼には感謝している。
男だけのチームではむさくるしい。やはり青春には女子が必要―と、ドルフィンが“ドライバー”として会社の後輩たちを誘った。
更には映画製作好きのドルフィンは「車載カメラ」を仕込み、外から撮影した映像にBGMと効果音も加えて編集して“作品”に仕上げたのだった。
この作品は「レーシング・オン」誌に投稿し、掲載されたこともある。
ラー飯能でのYMAMHA FK9レースに2カーエントリー 一番楽しかった

カート専用サーキット・ラー飯能での耐久シリーズに参戦するようになってチーム名を「Team MAT」に決定。「Motor sports Activision capability Tactics」の略としているが、大本は怪獣退治チームの名称に由来している(笑)。
カートはレンタルカートのみ。耐久戦には5台レンタルカート参戦枠があり、抽選で2カーエントリーできたときが最高潮だった。
ドルフィンと女子2名の軽量組と友人「O」と隊長、「M]君の重量組に分かれた。レギュレーションによるバラスト搭載の配分が良いからだ。
ステッカーやサインボードも作り“雰囲気”作りも良かった。
ヘルメットは人数分無かったので2個を3人で使った。シンプソンヘルメットも汗臭くしていなかったので女子も使用してくれた。
3名のドライバーで60分耐久レースを走る。暑さやアクシデントでリタイアするチームも少なくなかった。
重量組はマシントラブルでリタイアとなったが、軽量組は走りきり総合で半ばくらいに入った。
その後は2カーエントリーはできなかったが、軽量組が参戦した時は“完走”した中でブービーとなり“表彰台”に上ることもできたのだった。
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時は過ぎ、チームのメンバーも住む地域がバラバラになってしまった。
東京組はその後知り合った仲間も加えて、今でも定期的に集まって酒盛りをしている。
前出の友人「O」が休暇を利用して福岡に住むMAT隊長に会いに行くと言うので「それならば」とドルフィンも福岡に行く事に決めた。
明日からTeamMAT結成20周年記念集会をするために福岡に発つ。

