タイレルの代名詞6輪・elfタイレルP34シェクター車「抜かれたい方を示せ」 | CLUB24-にいよんー

タイレルの代名詞6輪・elfタイレルP34シェクター車「抜かれたい方を示せ」

 タイレルと言えばelfタイレルP34/フォードのイメージが強い。史上稀な「6輪車」はミニカー、ラジコン、プラモのモデル系玩具を筆頭に様々な商品に使用されたので、認知度が非常に高いのだ。友人もP34のラジコンを持っていた。

 当時のレーシングカーは「空気抵抗を少なくする」事に技術を注いでいた。フロントタイヤの空気抵抗を減少させ、小型4輪にする事で接地面積の確保をした。


 '76年型P34の特徴は6輪だけではない。オープン・コクピットなのに“窓”があるのだ。これはフロントタイヤの様子を見るためのもの。


 ’76年F1inJapanで初めて見たタイレルP34 (赤矢印)

コンパクトカメラで撮影。“流し撮り”というものを知らなかったので、完全にブレブレ写真


 F1inJAPAN決勝レース前にタイレルのエースドライバーであるジョディ・シェクター選手は、旧型のタイレル007を購入して参戦した星野一義選手に「抜かれたい方の手を上げて決めろ。安全に抜いてやる」(※)と言った。プライド高いF1ドライバーがレース後進国・日本のドライバーを甘く見ていたのだ。

 ところが、大雨と地元の利を生かした星野選手はシェクター選手を抜いて一時3番手まで浮上。レース後、シェクター選手は自分の言葉を詫びる。素直に相手の実力を認められる器の大きな一面も見られる。さすがは後のワールドチャンピオン。


(※)池沢センセはこのエピソードを漫画『サーキットの狼』の中で流用。後々シェクター選手の言葉と混同されることになった。ドルフィンも実際にシェクター選手の言葉を聞いた訳ではないので参考文献から抜粋した。

 背景にある「elf」ステッカーはドルフィンが持っている中で最も古いもので、'76年F1inJapanの時に「JAFブース」(だったと思う)でロータス77のステッカーとJAFMATEとセットでもらったもの


 デビュー4戦目にして1‐2フィニッシュ。4輪以外のマシンの優勝は史上唯一。2位は2台で8回と、初年度は大活躍した。

 翌シーズンには活躍したマシンの特徴をマネたマシンが登場するのが常なのだが、6輪車は現れなかった。他チームは4輪マシンに優位性を感じていたのだろう。

 2年目にはグッドイヤーのタイヤ開発が遅れて前後のバランスが悪くなったそうだが、もし、いくつかのチームが同型6輪車を投入してきたなら、タイヤ開発はもっと進んでいたのかもしれない。

 '84年スポーツカーフェスティバルではデパイユ車を高橋国光選手がドライブした


 RBA製1/43ミニカーのタイレルP34ゼッケン「3」ジョディ・シェクター車を持っていたので、 京商1/64「ティレルF1ミニカー」ではゼッケン「4」のパトリック・デパイユ選手のマシンが欲しかった。
 サイズが異なっても全く同じマシンよりゼッケン違いで「チーム完成!」としたかった。

 デパイユ車狙いで行ったのだが、配置表とズレがあってシェクター車になってしまった。



 '76年型タイレルP34はエンジン部が露出している。ミニカーでも樹脂成形ではあるが細密に作られている。特にエンジンやフロントサスペンションは色合いも含めてなかりリアルだ。

 スポーツカーノーズ先端にある5本の棒も造形・着色されえいる。RBA製では1/43スケールであるのにもかかわらず省略されていたのだ。
 “窓”はトミカのように銀色処理になっている。

 実車のリアウイングは2枚の支柱で支えられているが、耐久性と造形の関係からかミニカーでは2枚の間は埋まっている。

 「ティレルF1ミニカー」のタイトル写真に使用されているように、良い造形である。惜しむらくは着色に粗さが感じられる。


 6輪マシンが走るところをもう一度見たいものだ。

 来年5月に開催が予定されている鈴鹿サーキットのヒストリック・イベント(ファン感謝デーの時に開催が発表された)でタイレルP34を走らせて欲しいものだ。



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