世界遺産登録 富士山と父と子
ドルフィンは静岡県出身だが、富士山には一回しか登った事がない。「(富士山に)一度登らぬ馬鹿二度登る馬鹿」という諺があるくらいだから一回で丁度良いのかもしれない。
―ドルフィンの母方の曽祖父は富士山頂に山小屋を持っていた。シーズンになると祖父と剛力さん(彩芽ちゃんではなく荷物持ちのプロ)と資材を担いで登山していたそうだ。
「夜になったら松明を揺らすから」と言われた母や叔母達は夜に富士山頂の明りを見上げたそうだ。
残念ながら富士山頂の山小屋は祖父が体調を崩したために人に譲る事になった。そのまま残っていたらドルフィンは山男になっていたかもしれない(ハンドルネームは「イエティ」か?)―。
当然、母や叔母、そして父も何度か富士山に登っている。
ドルフィンは小学5年生の夏休みに父と2人で登った。
朝家を出て夕方に帰ってくる日帰り登山だ。
何度も登頂している両親だが、決して山をナメた事はしなかった。ドルフィンのリュックには着替えと食料と水を、父はワンゲル部が使うような大きなリュックは防寒具と食料と水筒でパンパンに膨れ上がった。母が「万が一の時に」と持たせたのだ。
登山者が使う木の金剛杖がある。5合目登山口で購入し、登山途中の山小屋で記念の焼印を押してもらうのだ。
少年ドルフィンはそれをやりたかったが「せっかくあるのにもったいない」と、家にある焼印を押され尽くし年季の入った金剛杖を“家から”持って行ったのだった…。
彩色処理一切ナシ! こんなピンク富士の日もある
初めての登山。曽祖父、祖父、父母が登った道を歩む。
今のように登山渋滞が起きることも無く、場所によっては全く人に合わない時もあり「道に迷ったのでは?」と不安になる時もあった。
天気は快晴ではなかった。霧が出たり、突然雲が晴れて真っ青な空が見えたりした。
9合目まで来ると頂上がすぐそこに見えているのになかなか近づかない。
登山道がジグザグになっているのと空気が薄くなって疲れやすいからだ。
あと少しで山頂―というところで天候が悪化。雨が降り“頭のすぐ上で”雷が鳴りはじめた。これは怖かった。それまでの人生の中で最大級の恐怖だと言ってもいい。
山肌の窪みに父と、あと一人登山者と3人で避難した。
雷が止むと霧が出た。
霧の中で登頂成功。鳥居をくぐる。
曽祖父が持っていた山小屋は今でも営業している。違う登山口にあったらしく、そこから火口沿いに歩いた。
細い道で片側がガケになっている。しかも濃い霧。父の背中を見失わないよう後に続いた。この行程もかなりの恐怖だった。
山小屋に付いた時はかなりの安堵感で、逆にあまり覚えていない。腰をおろして何か温かいモノを食べたような気がする。
初冠雪した日
帰りは叔母が「楽かった」と話してくれた須走り下山道だ。天気は回復して青空と強い日差しが戻ってきた。
ザラザラとした細かい溶岩砂の上を走って降りるのだ。「止まろうとしても止まれない」と聞かされ、楽しみで楽しみで仕方なかった。
果たして一度走り降りると本当に止まらない。今なら心臓が付いていかないかもしれないが、若い子供の心臓はその面白さで疲れなど知らなかった。
最後にきて道を間違えたらしく、山梨県側に降り着いてしまった。
バス亭まで「せっかくだから」と父と馬に乗った。
パッカパッカと山道をゆっくり歩く馬。その背に乗る父と子。思った以上に高い位置であったのと揺れていたのでチョット怖くて父にしがみついていた。
ライオン丸や嵐はあんなに颯爽と馬に乗っていたのに…。
道中、父と何の話をしていたのかは全く記憶にない。
しかし、丸一日父と2人っきりで旅をしたのは後にも先にもこれ一度きりのような気がする。
その父も数年前に他界した。一番深い思い出かもしれない。

