「たった一度のポールポジション」を読み終えて 高橋徹選手の輝きを思う
富田林・じない町古書散歩で買った「たった一度のポールポジション」をようやく読み終えた。
初版が1989年3月。高橋徹選手が亡くなって6年後に刊行されたドキュメント本だ。
著者の一志治夫氏は自動車関係のライターではなく、フリーのルポライター(当時)だ。長年の取材と訴訟問題の解決を待って刊行されたものと思われる。
モータースポーツ・ジャーナリストの肩書を持つ方が書いたものは、レース関係者との繋がりがあったりするので“見方”が一方的になったり、「一般の人はココのところは知らないでしょ」と知識をひけらかす文章になりがちだが、一志氏は一人のルポライターとして書いているのでとても読みやすい。
本のタイトルになった「たった一度のポールポジション」となった鈴鹿JPSトロフィーレース
当時のTVや雑誌では彗星のように現れた大物ルーキの「光」の部分しか捉えていなかったが、この本の中には一人の青年が描かれていた。
この年のヒーローズレーシングはBMWのワークスエンジンを使用していたので、高橋選手はヨーロッパF2→F1への道を切り開くものと思っていたが、本人はF1に復帰したホンダを意識していたようだ。
JPSトロフィーレース決勝は3位
'83年はドルフィンが名古屋市に住んだ事もあって、鈴鹿F2を3回、富士GCを1回観戦している。
本の中に出てくるレースが「あぁ、あの時のあのシーンか」とリアルに思い出される。ポールポジションを獲ったJPSトロフィーレースの「選手宣誓」もご家族の方も見ていたと知って情景が浮かぶ。
生憎とテスト日には行っていないので高橋選手と会う事は無かった。
富士GC第2戦・予選2番手 まだMCSⅢ
多くの有力チームがウイングカーであるMCSⅣにチェンジしている中で、前年型のMCSⅢで星野選手に次ぐ予選2番手は凄い。
鈴鹿ゴールデントロフィー・レース 高橋選手を撮ったベストショット
JAF鈴鹿GPに来日したワークス・マーチのモノコックにようやくカーボンファイバーが使用されていたが、高橋選手のリアウイングも当時高価なカーボン製だったそうだ。
高橋徹選手のマーチ832/BMW、1/43ミニカー化して欲しい。スパークでミニカーにして欲しい車両を募集しているそうだ。
今こそみんなで高橋徹選手のマーチ832をリクエストしようではないか!!
富士GC第3戦からMCSⅣにチェンジ 友人撮影
'83年の秋口、同じ下宿の吉田君が「高橋徹、死んだって!」とドルフィンの部屋に入ってきた。
「またコイツ、かつごうと思って…」と、最初は信じていなかった。だが、TVのニュースを見ると富士GCでの事故シーンが放送されていた。
ウイングカーのスピン時にはよくあった重力を感じさせないフワリと浮かぶ状態が、高橋選手のMCSⅣにもおこっていた。
観客にも死傷者が出たとして報道されていた―。
―あの日から30年も経ってしまった。
現在は文庫本化されているそうだ。
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