15~16世紀ごろ、ときはルネサンスの末期。
ドイツにひとりの魔術師が実在したといわれています。
彼の名は、ヨハネス・ファウスト。
ある月夜、ファウストは魔法円を描いてサタンを召喚し、
サタンの従者、メフィストフェレスを呼び出しました。
そして、召し使うかわりに、肉体と魂を売る契約をしたのです。
彼は、その助力により冒険と享楽の生活を送りましたが、
契約の期限が切れたときに死んだと伝えられています。
この奇怪極まる伝説は、ゲーテの劇詩『ファウスト』を始め、
マーロウ、トーマス・マンらの一連の作品の原型となりました。
また、漫画家の手塚治虫も、その様式は変えながらも、
人生の転機を迎えるたび、3度も『ファウスト』を描いています。
ファウスト博士は、あらゆることを知り尽くしたいと願い、
哲学、法学、医学、神学など、すべてにおいて学問を究めますが、
自分はそれを学ぶ以前と比べて、一向に利口になっていないと、
その無限の知識欲求をどうしても満たしきれないことを嘆き、
自らの、さらには人間の有限性に強く失望していました。
そこに、悪魔メフィストフェレスが現れます。
ファウストが学問に人生の充実を見出せなかったことを嘆き、
それならば、生きることの充実を得るために、
全人生を体験したいと望んでいるところにつけこんだメフィストは、
ファウストに語りかけ、自分と契約を結びさえすれば、
この世の限り、伴侶、召使い、あるいは奴隷のように仕えて、
かつて誰も得ることのなかった享楽を提供すると持ちかけます。
しかし、そのかわりに、あの世で再び会ったときには、
今度はファウストが同じように仕えなければならないというのです。
もとよりあの世になど関心のなかったファウストは、
この提案を快諾し、この世の快楽で自分を迷わすことができたなら、
「時よ止まれ。汝は、いかにも美しい」と叫ぶので、
それを合図にメフィストに魂を捧げようと約束するのです。
さて、この物語の概念は、「努力する人間は救われる」です。
多くの作品において、ファウストの魂は、最終的に救われます。
しかし、これに疑問を持ち、迷いを見せた作家がいます。
他ならぬ、手塚治虫です。
手塚は、3度目に手がけた『ネオ・ファウスト』(未完)において、
「努力する人間は救われる」という楽観主義からの脱却を試みました。
彼は、とどまるところを知らぬ自我の拡大が、欲望へ発展し、
やがてはこの世を終焉に導きかねないことを危惧していたのです。
何びとも「救われない世界」など、あまりに過酷です。
しかし、私たちが最終的に救われるという確証はありません。
恐ろしいことです。
だから、私は……
いえ、何でもありません。
by スグル