ありふれていて恐縮ですが、
私も横溝正史の『八ツ墓村』や
松本清張の『点と線』などを興奮しながら読んだ記憶があります。
昨日のテリーの記事にある、
横溝の「ウソのようなホント」と
清張の「ホントのようなウソ」には共通点があります。
それはどちらにも「ウソ」が介入していることです。
ここ数年、お昼の時間帯に放送されているドラマが人気だそうです。
また、徳川将軍家に関わる女性の争いを描いたドラマ『大奥』が、
高視聴率を獲得し、次々と続編や特別編が制作されています。
いったいなぜでしょうか。
人間のどろどろとした妬み嫉み、
それによって引き起こされる愛憎劇、
ひとの不幸は蜜の味とでもいうような展開…
果たしてこれらが「おもしろい」所以なのでしょうか。
単に暇を持て余した主婦層から
支持を受けているから視聴率がよいのでしょうか。
私はそれだけではないと思います。
これらには非現実的な「わざとらしさ」や錯覚的な「時差」があります。
もし、こういった作品が、
名優たちによる迫真の演技で作られていたら、
複雑な現代社会を背景にして描かれていたとしたら、
おそらく、ただ不快なだけで、とても観られたものではないでしょう。
以前ここで「偽りのリアリティ」のお話をしたことがありますが、
小説や映画として、そのおもしろさを追求するには、
迫真の「虚構」を成立させる必要があるのです。
どこかに事実が含まれていることはありえても、
それが作品の根幹にあってはならないのです。
話は戻って、横溝と清張のこと。
彼らが巧みであったのは、いずれも「ウソ」がうまかったこと。
もちろんそれは、凡人の次元ではなく…
by スグル