毎月参加するいのちびと人間塾。
今月は特攻について、お話を聴きました。
祖父が特攻隊員でした。
私が小学生頃、初めてそのことを祖父の口から直接聞いたことを今でも忘れることはありません。
なぜ祖父がそんな話をしてくれたのか…
よく覚えていないですが、おそらくは夏休みの宿題かなにかで先生から聞いてくるように言われたから、自分から聞いたのではないかな…と。今となっては想像するしかありません。
ただ、祖父は記憶に残る話し方をしてくれました。
実際、その話を忘れたことはありません。
おじいちゃんは特攻隊やった。
お国のために命を捨てる、って志願した。
でもな、出撃前に戦争が終わったから、飛ばんかったんや。
そんな風に話してくれたと記憶しています。
特攻隊って、
爆弾積んで敵の軍艦に突っ込むねん、
みたいな話もしてくれたと思います。
それって、死ぬやん。って子ども心に思ったし、祖父が当時を振り返って「飛べなくて残念だった」って言う気持ちも分かりませんでした。なぜ、死なずに済むのにそんな風に思うのか…。
でも、どことなく誇らしげな祖父の姿が心に残っているんですよね。「特攻に志願したんや」って。
その後、中高と特に第二次世界大戦に深く思いを馳せる機会もなく、社会人デビューしてからは目の前の仕事に忙殺される日々が続きました。
ありがたいことに結婚できて、子どもを授かり、
コロナ禍を経て、苦悩の末、また昔を振り返る時間をもつことが許される生活を取り戻せました。
そして、昨夜の人間塾。祖父に呼ばれたんじゃないかと思ったくらいです。
特攻兵は10〜20代の青年。
まだ人生これからという彼なのに、もういのちが終わる日を覚悟しているんです。
そんな極限状態で、カメラを向けられたら笑顔。
その心は計り知れないけど、人間塾で講師の荒木先生が紹介してくださった話から推測すると、彼らの心には「大切な人を守るんだ、祖国を守るんだ」という切実な使命に燃えていたのかな…と。
そして、想いを胸に飛んだ特攻兵達。
そして、飛べなかった特攻兵達。
私は、祖父が飛ばなかったことを悪く思ったことはありません。祖父が生きていたからこそ今ある我がいのちです。
ところが、昨夜の講座で初めて知ったことがあります。
特攻兵で生き残った者達には、大きな苦悩があったということ。生きて戻ってきたことに、罪悪感が残ってしまう…。さらに、周囲から心ない言葉を浴びせられた人も少なくないとか…。
荒木先生は「今日われ生きてあり」という本を教えてくださいました。特攻で生き残った人たちの苦悩が書き残されてる。
いつも豪快で働き者、強い祖父。明るく冗談言って、みんなを笑わせる人でした。朝誰よりも早くおきて、田んぼを手入れして、1日中汗水流して働く姿しか見ていません。
おじいちゃんは、田んぼが好きで、夜は酒飲むのが好きなんやと思っていたけど、もしかしたら、生きながらてた自分も精一杯やってるんだ!!って、言いたかったのかな。そんな風にも思います。
もう亡くなってしまって、本人には確かめようもないけれど、もしかして、もしかして、生き残った人間として心に秘めていた思いがあるんじゃないかと…。
いつも一生懸命で、
誰に対しても真っすぐで、
筋の通らないことは簡単には聞き入れない、
これは、小学生だろうが中学生だろうが大人だろうが同じだったと思います。祖父の心には、きっと特攻隊として過ごした日々が深く根ざしているんじゃないかと思います…。生き残った人達のことを知ると、祖父のことも少し深く知れるのではないか…
荒木先生からご紹介いただいた本、
知覧や万世など現地へ赴くこと、
いずれ実現したいと思います。