福岡市の西に愛宕神社はあります。正確には鷲尾愛宕神社と言うそうです。ドーム球場や、福岡タワーよりさらに西、室見川を渡ったところにある、標高60mの愛宕山(というよりは丘?)山頂にあります。

 昔はケーブルカーがあったというこの山頂まで、高校時代は冬のマラソンで、苦しい思いをして駆け上りました。

 この麓に中学、高校を共にした旧友が社長をやっている会社があります。その社長室を先週、訪問しました。

 零細企業と本人は謙遜していましたが、クラシックな印象の、よく掃除の行き届いた部屋でした。卒業後ずっと付き合いがあったわけではないので、昔があって、今があるその間の歩みを部屋の中に置かれたものがそれぞれに語ってくれるようでした。

 夕刻の訪問で、その後、他の友人も交えて飲み会になったのは言うまでもありません。訪問記をブログに書くという約束はこれで果たせました。


 韓国映画の秀作。

 楽しいこともない、どちらかというと重い日常が淡々と描写され、ハッピーなエンディングがあるわけでもないのに清清しい印象が残る。
 その理由はこの映画の語り口にあると思うのだが確信はない。

 ヒロインは中学生になる孫の男の子と二人暮らし。暮らしは楽とは言えず、ヘルパーの仕事をしている。物忘れも意識し始め、検査を勧められたりしている。そんな時に孫のグループがクラスメートの自殺事件に関わったことがわかり、示談に持ち込むためにヒロインも他の子供の父親に混じって奔走することとなる。

 これがストレートに描かれたら普通の映画だ。ところが、一方でヒロインはカルチャースクールの詩作教室に通い始める。修了までに一編の詩を書くという課題で、そこで自分の周囲の世界を改めて見る、その「視点」の映画でもあるのだ。

 老いた命と亡くなったクラスメートの命がいつの間にか重なり、死者の目で世界が捉えられたときの輝きで映画は語られていたことが分かる。ヒロインの作った詩の朗読とともに写されるラストの解釈は観客にゆだねられる。

 だからという訳ではなく、映画そのものが切なく美しい詩のようだ。


 園子温監督の新作。

 主人公の彼女はある意味ではうっとうしいかも知れないが、その誠実な付きまとい方に主人公とともに観客も感謝したい気持ちになる。

 舞台は震災被災地に近い、ある水辺。主人公の家はその辺でボートハウスを営んでいる。とは言え、父も母も家を出て不在、という複雑な環境だ。震災で家をなくした人たちが吹き溜まりのように周囲に集まり、テント暮らしをしている。

 主人公とその彼女の肩には世界のあらゆる苦悩と悲惨がのしかかっているかのようだ。谷将太と二階堂ふみ、若い二人は健闘しており、ヴェネツィア映画祭の新人賞ダブル受賞は大いにうなずける。脇を園監督作品常連の不適な面々が固める。

 「うっとうしい彼女」のエールがズタズタになった主人公の精神を再生に向かわせる。そのエールは震災被災地へのエールのようにも聞こえてくる。