前回の話はこちら

 

 

ルンルンBGM音符は、2005年ショパンコンクール覇者、ラファウ・ブレハッチの演奏を。

 

♪ Barcarolle in F sharp major Op. 60(ショパン:舟歌)

 

 

♪Chopin Waltzes, Op.64 N°1 to 3(子犬のワルツほか)

 

 

 

今回の話は、自宅出産にほとんど関係ないのですが、こういう事象があるよということを一人でも多くの人に知って貰いたいので、書いておこうと思います。

 

第1子を出産・退院し、3週間くらい経った頃、子供に異変が現れました。

最初は、母乳を軽くゲロッと吐くことから始まりました。

日に3~4回くらいでしょうか。

その翌日、重く吐きました。その翌日は、重く吐くのが3度ありました。

派手に吐くのが続くうち、排便の回数が減り、排尿の回数も減り始めました。

 

約1週間経ち、これはおかしいと、出産した国立病院を受診しました。

子どもは黄疸の処置を受け、そのまま私が付き添いで入院しました。

 

翌々日、診断の結果が伝えられました。

 

 

「肥厚性幽門狭窄症」(ひこうせいゆうもんきょうさくしょう)

 

 

ということでした。1000人に1人くらいの割合で起こるみたいです。

胃と十二指腸のつなぎ目である「幽門」が、筋肉が厚くなり塞がってしまう症状です。

そうするとお乳を飲んでも腸に行かず、噴水のように吐き戻してしまうのです。

腸にお乳が流れて行かないので、排泄が減り、黄疸が強くなります。

母親には「自家中毒だ!」と適当なことを言われましたが、違いました。

 

診断を受け、国立病院から救急車に乗って小児専門の病院へ転院しました。

先生から「主な対処はオペになります。その他、薬によるアトロピン治療もあります。」

と説明を受けました。

オペの場合は、おへその周りを切って広げるので、傷跡も目立たないし、即日で解決するとのこと。

一方、薬物療法は、効果がゆっくりで、治療期間が長くなるとのこと。

私たちは薬物療法を選びました。先生は外科の担当医だったので、オペしたそうでした。

 

引き続き、私が付き添いで生後4週間目の第1子の入院生活が始まりました。

最初、4人の大部屋でしたが、途中で個室に替えて貰いました。

大部屋では、隣のお子さんは小学生くらいの様子でしたが、終日親御さんは見えず。

頭に水が溜まっているのか異様に大きく、意識があるのかないのかという様子でした。

キティちゃんとか、ピンク色の小物が飾ってあったので、きっと女の子だったのでしょう。

小学生くらいなのに、紙おむつが常備され、長いこと寝たきりのようでした。

 

小児専門の病院ということで、普通の病院と様子が違います。

まず、大部屋にしても、個室にしても、出入り口の扉を開放していなければいけません。

理由は子供の様子を把握できる状態にしておく必要があるからです。

子供たちのベッドは、高い柵のあるベッドでした。

夜泣きのひどい子供で親が居ない場合、看護室付近で夜間担当の看護師が見ていました。

 

子供の高い柵のベッドの脇に、狭いベンチベッドのようなものがあり、そこで私は睡眠を取りました。

入院してからも吐くのはしばらく続いていて、吐き戻して汚れてしまった病院側の備品のバスタオルを申し訳ない気持ちで交換して貰ったり、汚れた子供の服は、個室の洗面で私が手洗いして干していたように記憶しています。

毎朝の診察、2・3日置きに沐浴、時々レントゲン撮影など。

夜中も3時間ごとに起きていましたが、時々寝過ごしてしまった時は、夜間担当の看護師さんが代わりにやってくれていました。

 

私の子供は最初アトロピンという薬を点滴で与え、搾乳したお乳を哺乳瓶で与える、というのを繰り返しました。

先生からは3~5日くらいでアトロピン治療の効果を得たいねと言われていました。

入院初日は鼻から胃に管を通して胃の中を吸引していましたが、入院翌日から吸引をやめて(通過状態を見るため管は通したまま)搾乳した母乳を1回に10mlずつ与えることになりました。4日目、20mlに増やしました。5日目には40mlに、6日目には60mlに、7日目には80mlに、8日目には100mlに、徐々に増えていきました。

8日目の夜から、アトロピンを点滴ではなく内服で与える処置に変わりました。

10日目、3回目のレントゲンで、ガスが大腸まで届いている確認が取れました。11日目、胃管が外されました。

12日目、1週間後の再診までの日数分のアトロピン内服薬を貰って、退院することができました。

 

1週間後の再診で、今ある薬を飲みきったら終了と言われ、帰宅しました。

しかし、その後も状態がやや不安定で、私の精神がままならず、翌週更に再診をお願いし、アトロピンとミリステープ(ニトログリセリン)を2週間分処方して貰いました。レントゲンを撮ったところ、良好な状態とのことでした。

 

その後、ちょろちょろ吐き戻すことは続いたものの、無事に生後100日目を迎え、体重も6kgほどに順調に増えました。

 

後になって思えば、私自身が臆病者で怖がりなので薬物療法を選んでしまいましたが、確かに長丁場でやきもきするのと、アトロピンやニトログリセリンの副作用はないの?と考えると、即日解決のオペを選択するのも、あながち悪くなかったなと思わなくもありません。

 

この件も、今となっては遠い記憶ですが、かなり大きい出来事でありました。

約2週間、小児病院で寝泊まりしたことは、私にとって貴重な経験となりました。

 

まず、自然に任せたままなら、第1子は早々あの世に帰ろうとしていた訳です。

それを人の手によって引き留めた訳です。善悪の判断はわかりません。

ただ、「生きてくれたら、それだけでいい」と強く強く、思いました。

 

懸命な姿の看護師さん、お医者さんに、心を動かされました。

夜勤の看護師さんは、夕方5時頃出勤されて、業務の引継ぎをし、夜通し勤務され、朝8時頃に業務の引継ぎをし、9時頃までお仕事されてました。

その中の一人に、私が四国の友人から頂いた腕時計と同じデザインの腕時計をされてる方がいて、数字がカラフルな時計なんですが、「私も同じの持ってます」と伝えたら「可愛いですよね。子供が喜ぶかなって思って選んだんです」と話してくれました。自分目線じゃなくて、子供目線で身に着けるものを選ぶ心の優しさに、今でも心が温かくなります。

 

うちの子の他にも、長期、短期、様々な事由で入院されているお子さんが多数おり、親の付き添いがある子もいればない子もおり、看護師さんお医者さんの支えを受けながら、様々な親子の形があることを知りました。

 

幽門狭窄症の原因は解明されておらず、私も夫も、互いを責め合うようなことはありませんでしたが、スピリチュアルな視点や、胎内記憶の視点からは、どのような意味があるのか、とても知りたいところです。

つわりの時から食べれるものが少なかったし、出産後も変なものは食べていないと思うのですが、宇宙から来たであろう第1子にとっては、地球の食べ物(それを食べた母親のお乳)がよほど合わないのだろうなぁあせる・・・なーんて考えたりしてます。宇宙人は食事しないって聞きますし。

 

神経質な私ですが、子供の命を預かる病棟に置いては「扉がない」中での生活であり、そこに身を置いたことで、「人目を気にする」ことにどれほどの重要性があるのか、考えるきっかけになりました。

 

 

 

 

さて、命の危機を乗り越えて、他の赤ちゃんと同じように成長を続ける第1子。

 

生後4ヶ月、予防接種を始めてしまいます・・・。(本当にごめん)

生後6ヶ月、離乳食を始めてしまいます・・・。(本当にごめん)

この頃、「おむつなし育児」を知って、おまるに挑戦させています。でも、夫がバリバリ紙おむつ派な上、予防接種ガンガンやらせてしまったので、プラマイゼロで結局おむつ取れたの3才間近でした。

 

可愛いわが子が産まれ、幸せな日々が始まると同時に、第1子が生まれたことで夫婦が迎えるのが、

 

「産後クライシス」です。

 

これは、もともと2人であった夫婦間に、可愛いわが子とはいえ人間が一人増えることで人間関係が三角関係に変わり、問題が起きやすい状態をいいます。

体に何の変化もない夫に対し、お産という一大事業を経験し、体の変化が大きい妻のほうは、心も大きく変化しています。

一人目が産まれて夫婦関係が悪化し別れるカップルも少なくないとか。

我が家の場合、夫の愛情が子供へ全て移りました。私は全く相手をされなくなりました。

夫が子供を取り上げて私はひとりぼっち・・・という状態が増え、寂しくなった私は、「もうひとりほしいな」と思いました。

 

そんなことを思っていましたら、「お母さんが寂しくないように、今行くからね!」と言わんばかりに、子供が宿りました。

 

 

次回に続きます。