前回の話はこちら↓

 

 

ルンルンBGM音符は、前回紹介して自らドツボにはまり込んでしまった、ショパンピアノ協奏曲第2番を集めてみました。

 

♪ブルース・リウ (2020ショパコン1位)

 

ブルース・リウさんは、月刊CHOPIN本小林愛実さんの連載の中で、彼の日本での演奏会後に、反田・小林夫妻の自宅に招いて一緒に食事をされたと書かれてありました。ブルース・リウさんが夫妻の赤ちゃんを抱っこしている写真びっくりが掲載されていました。子供服をプレゼントしてくれたのだとか。物凄い交流です。

反田夫妻はアレクサンダーガジェブさんとも相変わらず仲良しのご様子で、スリーショット写真カメラが掲載されていました。

 

 

♪アレクサンダー・ガジェヴ (2020ショパコン2位)

 

 


♪チョ・ソンジン (2015ショパコン1位)

 

小林愛実さん、チョ・ソンジンさんとも演奏会後にお会いしたとありました。

チョ・ソンジンさんは、牛田智大さんとも仲が良いはずです。皆仲良しです。

若者は、みんな仲良し!!なんですよ。戦争させてるのは超超年寄りだけです。

イスラエルの若者も、パレスチナの若者も、日本の漫画が好きだと言っていました。

好きなことをやって繋がれる世界があるのに、いつまでもくだらない戦争なんかさせるなよ!

 

 

♪ユリアンナ・アヴデーエワ (2010ショパコン1位)

 

 

 

♪マルタ・アルゲリッチ (1965ショパコン1位)

 

巨匠マルタ・アルゲリッチの情熱的な演奏です。wikipediaによると、8歳でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を演奏し、9歳にはモーツァルトのピアノ協奏曲とバッハのフランス組曲を演奏したそうです。超天才です。

 

 

 

 

さて、前回の続きです。

 

妊娠に気づいたのは、勤務中に異様な眠気に襲われたことが始まりでした。

睡眠不足でもないのに、眠くて眠くて仕事に集中できず、昼休みに仮眠を取りました。

しかし午後になっても頭がフラッフラで意識がもうろうとしたままです。

仕方なく別の部屋で休ませてもらい、許可を頂いて早上がりさせてもらいました。

 

つわりの始まりでした。検査薬で陽性反応が出ました。

早退した翌日も起きていられず、勤め先に休みの連絡を入れました。

実は、妊娠が発覚する2週間ほど前に、事前に上司に結婚するので辞める旨を伝えており。

とても仕事をできる状態ではなく、改善の兆しも見えないため、そのまま辞職する運びになりました。

後日婦人科を受診し、診断書を持って、慌ただしく入籍手続きと妊娠の届け出を行いました。

入籍した日に、つわりの症状が悪化し、嘔吐が始まってしまいます。

 

第1子の悪阻は、酷かったし、辛かったです。

自分の体が思うようにならないということを経験しました。

このおかげで、老人や病人の気持ちがわかるようになりました。

 

冷たい水が飲めなくなりました。今思い出すと笑えるw

水を飲むと必ず吐いてました。

ありとあらゆるものを食べられなくなりました。

食べられたものを書いた方が早いくらい。

ごはん、豆腐、納豆、ジュース

冗談抜きで、これくらいです。

これが通常の半分しか入りません。ご飯も7分目が限界。

酷かったのは、菓子パン、中華、チーズ、ヨーグルト

食べてはみるものの、全て吐き戻していました。

肉もダメで、夫が調理して匂いが立ち込めると文句言ってました。

 

因みに。生まれた第1子。普段ほとんど水を飲みません。

私がこの子を妊娠中に食べれたものは、この子も食べれます。

妊娠中に吐いていたものは、食べません。すごい偏食です。

 

 

やや脱線しますが、つわりについて。

 

●江原啓之さんの見解、おと語り87回より2012/11/25

「私は今妊娠して6カ月になりますが、自分自身いいところが全然ないように感じ、こんな私でも親になるのかと思うと期待と不安でいっぱいです。まわりの子どもたちに対しても恐怖心を抱いてしまうのですが、それは自分に自信がないからでしょうか。子どもは欲しいと思っていたのですが、いざできてみると罪悪感を持ってしまいます」

江原さん
「これにはいくつものことが言える。例えば妊娠して不安になるということは、自分自身の気持ちだけではない。生まれてくる赤ちゃんの気持ちでもある。生まれてくる方もみんなハッピーで生まれてくるわけではない。この世に生まれてくるということは、余程の決意がいる。
スピリチュアルな視点からすると、面白いことがたくさんある。まず、つわりについて。つわりは、軽い人と重い人がいる。軽い人というのは自分とそっくりで違和感がない。逆に重い人は全くの別人格。
また、生まれてくる時期。早く出てきてしまう子というのは、物凄く勢いがあって、小さいときにおとなしくてもどんどん前向きになっていく。予定日を過ぎてもなかなか出てこない子というのは、臆病な子。
そういったことが影響すると親もそんな気分になってしまう。そういう時は「色々あるけど、お互い頑張りましょうよ」とお腹に言い聞かせることが大切。そうするとお互いが変わってくる。愛情は持っているんだから一生懸命赤ちゃんを育んでください」

 

 

●池川明さんの見解

何でみんな全然違うの?つわりの神秘

出産を経験した人に「つわりはどうでしたか?」と聞くと、普段と全く変わりなかった、ちょっとムカムカした、体が全く食べ物を受け付けず入院した等々、驚くほど多様な回答が返って来ます。それは一体なぜでしょうか?横浜市の池川クリニック院長、産婦人科医池川明先生にお伺いしました。

 

池川先生「実はつわりは本当に不思議なものなのです。医学的にはhcg(妊娠反応を調べるときのホルモン値)が高いと、つわりが悪化すると言われていますが、実際つわりについてきちんと研究した学者はまだいないんですよ。」

 

食べ物の好みが変わるのはなぜでしょう?

池川先生「今は妊娠反応などの医学的なチェックができますが、昔は月経が遅れていること位しか妊娠の判断材料がありませんでした。しかし、つわりが出る時期は赤ちゃんの身体の器官が形成される重要な時期。私は、そういう時期にお母さんが悪い食べ物を食べれば赤ちゃんに悪影響を与えてしまうため、『変なものを食べないで!』というサインを送っているのかな?という気がしています。赤ちゃんの身体がある程度形成されて、安定してくるとつわりがなくなりますし、実際胎内記憶のある子どもに、なぜつわりを起こしたのかを聞くと、『お母さんが悪いものを食べたから』という子もいますから」

 

お母さんの精神状態がつわりに影響するという説もありますね。

池川先生「お母さんが赤ちゃんを受け入れているか否か?今の状況(仕事や夫婦関係)を受け入れているか?も重要で、ストレスが多いとつわりも重くなる傾向があります。また胎内記憶のある子どもが『僕に意識が向いていなかったから、意識を向けようとした』と言うこともあります。あとは、お母さんとの相性も関係あるかもしれません。波長が違うとつわりが重くなることがあり、逆に赤ちゃんとお母さんの意識がしっかりつながっているとつわりも軽い気がしています」

 

では、つわりのときに無性に眠くなるのはどうしてでしょうか?

池川先生「プロゲステロンという黄体ホルモンが多く出るせいです。生理の前や生理中に眠くなるのはこのホルモンのせいで、心が少し憂鬱になるなど、活動的でなくなる作用があります。妊娠しているお母さんが激しく動き回ったりしないように、お腹の赤ちゃんを守るためにこのホルモンが出るんですよ。女性の身体は本当に良くできていますよね。

つわりが辛いというお母さんもいますが、これは赤ちゃんが順調だということ。大切な時期だから、無理せず静かにして寝ていてね、というサインだと思いましょう。」

 

 

妊娠は、物質的にひとつである母体に、母親の魂と、赤ちゃんの魂が、ふたつ同居してる状態。

妊娠って不思議です。性交渉があれば必ず妊娠する訳でもないし、マリア受胎の存在もあるし。

「赤ちゃんはコウノトリが運んでくる」あれは子供だましでも何でもなく、言い得て妙な、真実です。

 

肉体は地球上の世界での物質であり、精神は天国から来た魂である。

人の体は、物質的には、空気・水・土・木・草・花と同じ、地球の一部である。

人の心は、天国から来て天国に帰っていくものである。

ここに人工的な要素が加わってバランスが崩れた時に、問題が生じる。

 

お母さんと子どもが似た性格なら問題ないが、違う性格だと、すり合わせが必要になる。

「ぼく・わたしの好きな食べ物と嫌いな食べ物はね!」と子どもからの嗜好の伝達。

母体の毒素の排出、「休め」の合図。

自然の物事には本当に無駄がないです。つわりにも意味がちゃんとあるんですね。辛いだけじゃない。

お腹に宿ったこどもが声なき声をたくさん送っているんですね。

 

産まれる時期ですが、うちは第1子は1週間早く産まれ、第2子は2週間早く産まれ、第3子は3日遅く産まれました。

上二人は確かに積極的で、第2子は親の予想の3倍、行動が素早いです。第3子はビビリです。

第1子と第3子のつわりが酷く、第2子はつわりゼロで快適でした。本当に不思議です。つわり。

 

隣で悪阻の妊婦が何も食べられないのに、気遣いゼロ、無神経な夫です。

「妊婦さんお酒飲めないから、俺も禁酒するね!」とかない。

「大丈夫?調理の匂い嫌でしょ、違うものにするね!」とかない。

全てのO型兄貴がそうではないと思いたい。

繊細なAB型を理解できないおおらかさがO型兄貴のウリなのだから。

 

 

いやー。もうほとんど忘れてますわ。

あの時を思い起こせば、何の問題もなく食べたいものを食べられる幸せ。

冷たい水をごくごく飲んで喉を潤おせる喜び!

まぁでも最近は、冷水飲むとお腹に来るので、白湯贔屓ですが…。

 

半分起きて、半分死んでた時期でした。

「悪阻でずっと吐くのでトイレの前に布団敷いて寝たい」

という話を聞いたことがありますが、正に同感です。

それも2か月くらいするとやや落ち着きますが、吐き続けるまま臨月を迎えます。

 

元の体重が48kg、出産前が55kgだったかと。

私の散々な状態を心配した義実家の勧めで、国立病院での出産になりました。

 

最初は個人院で診察を受けていましたが、毎月1回、毎回60分近く待ちました。

つわりが酷くて横になっていたい人間からすると辛い時間でした。

採血でフラフラッと意識が薄れたため、横になって採血をしたり。

 

臨月が近くなって国立病院の診察に移りましたら、更に大変でした。

診察の待ち時間が2時間です。物凄い待ち時間です。

やっと順番が回ってきて診察室に入ると、隣の診察室の会話が聞こえてきました。

患者さんが先生に待ち時間が長すぎることの文句を言ったようでした。

 

先生「あのね、私ね、午前中だけでもう140人診てるんですよ!」

 

朝9時からの診察で、時刻は昼の12時を回っています。

因みに私はおそらく10時から診察待ちをしていたかと。

過剰医療でひっぱくしている病院の現状を感じる瞬間です。

しかし当時は何の疑問も抱かずに、そのまま病院でのお産を迎えます。

 

「このお腹の痛みは!陣痛だ!」

病院に行き診察を受けましたら、「まだまだです。」帰されました。

「前駆陣痛」という存在を知るのはもっと先です。

その一週間後、「今度こそ!5分間隔来た!」

早朝に病院入りして、朝食を頂いて、痛い・痛くないを繰り返し、何の知識もなかった私は、陣痛促進剤を2回も受け入れ(後で物凄く反省)、昼を迎えた頃、ふっと、宇宙を感じました。

 

「あぁ、この子は、宇宙から来るんだ」

 

命の神秘を感じ、お産の前に涙が溢れてしまいました。

それを見た看護師さん、

「感動するのまだ早いですよ!」

 

事前に民間療法の本で「お産の際に生の小豆を7粒飲むと産道が開く」という知識を得ていた私。

 ※産婦以外の人には生豆は毒なので摂取厳禁です

持参していた小豆をコッソリ飲みました。しばらくして陣痛の様子を見に来た看護師さん、

「アレ?急に子宮口開いたな」

 

それから1時間経ち、1分強烈な痛みが来たかと思ったら、1分本気で眠る… また強烈な痛みで目が覚め、また1分本気で眠る…というのをしばらく繰り返しました。

 

呼吸法も、赤ちゃんとの胎話も、全く何も準備していなかった私。

いきみかたも全く分からず、ただただ、分娩代のバーを握る手に力を入れるばかり。

 

さぁ、いよいよ産まれるぞ!

 

その瞬間!陣痛中ほぼ一人だったのに、看護師さん、助産師さん、医者、総勢5名が、初めましての挨拶もなしに、あられもない姿の私の目前に、一斉に集まるではありませんか!

 

私。この時。

陣痛が痛くて痛くて辛いけど、一瞬にして、冷静になりました。そして引きました…。

 

出産って痛そうで怖い。しかしずっとお腹の中に居続けて貰う訳にもいきません。産まざるを得ません。

1分毎に寝たり起きたりの陣痛から1時間くらい経ったでしょうか。

 

無事に産まれてくれました。

 

傍にいてうちわで仰いでくれたりして立ち会った夫が、感動して目を潤ませているのが見えました。

5分ほどして、一通りの処置を終えた赤ちゃんを、カンガルーケアで胸に乗せて貰えました。

 

ひどい悪阻でずっと苦しんだ7か月。恐れていた出産。

一瞬にして全て吹き飛びました。

 

「なんてかわいいの!また産みたい!」

 

自分の体から新たな命が産み出る感動を知ってしまった瞬間でした。

また産みたい!出産して一番の感想でした。

 

お産は痛くて怖いと思っていましたが、確かに痛かったですが、個人的には下痢の酷い時のほうが痛いんじゃ?という感想でした。

お産よりもつわりの方が圧倒的に辛かった。

そして産後直後から始まる授乳が大変。特に産後3日目のおっぱいの爆弾化の山場を乗り越えるのが、お産より辛いと思う。

 

カンガルーケアが済むと、勝手にされた会陰切開の傷口を縫合処置されました。これが痛かった。

それも済んで入院部屋に移動すると、歩く練習、産後初めての排尿の挑戦、と助産師さんが見守ってくれました。

母子同室での3時間授乳が始まります。

お産して体が軽くなって、水は飲めるし、もりもり食べられる!

体重は52kgほどになっていました。

私は体重増加が少なかったので体型がすぐ元通りでしたが、体重が増えすぎた妊婦さんは、産後なのに産前と思えるようなお腹をしていて、間違えたほどでした。

反対に、私はあまりにも軽快に動いて見えたらしく、しんどそうな産褥婦さんから経産婦と間違われていました。

 

 

この国立病院でのお産は、勝手に会陰切開をされたことと、私の知らない間に赤ちゃんに粉ミルクを与えられていたこと、「3時間!3時間!」と迫られたこと、出産時のいきみかたの事前説明がなかったこと、妊婦健診での待ち時間などから、結果として「国立病院でのお産は、もうこりごり」という思い出となってしまいました。

 

 

そうして1週間が過ぎ、退院をしました。

因みにインドでは普通分娩だと2日で退院するそう。

 

第1子が誕生してから2週間後、だんだん赤ちゃんの様子に異変が出始めます。

 

次回に続きます。