今回のBGMは、亡くなられた山本陽子さんのご冥福をお祈りし、安らかな癒しを、ということで屋久島サウンドを選んでみました。

 

♪屋久島/白谷雲水峡・苔むす森

 

 

 

江原啓之さんをチェックしてましたら、緊急動画ニュースを更新されていました。

 

2024年2月22日

今こそ耳を傾けて

女優・山本陽子さんの悲しい訃報が届きました。今こそもう一度生活の基礎に耳を傾けましょう。

 

サイト会員ではないため、これ以上観れないのですが、伝えたいのはこれかな?というのがあったのでご紹介いたします。

 

 

 

 

2022.08.09 07:00

山本陽子さん(80才)が別荘を改修した48坪の住まいを公開「収納棚は全部手作り」

 俳優の山本陽子(80才)さんは、別荘を終の住処に改修し快適生活を送っているという。「収納棚は全部手作りです」と、笑顔で今の住まいを案内してくれた。彼女が移住に至るまでの道のりと、現在の暮らしぶりについて語っていただいた。

俳優の山本陽子さん

俳優の山本陽子さん。現在は、舞台を中心に活躍している

終の住処はココ!と感じて50代で購入した別荘

70才になった頃、コンパクトで、ものが少ないミニマリストな生活がしたいと思ったんです」

 そう語る山本陽子(80才)は、10年前、東京の住まいを引き払い、都心から車で1時間ほどの場所に居を移した。

「いま住んでいるマンションは、もともと知り合いの建築家が設計したもので、50代のときに別荘として購入しました。緑豊かなところで、四季を感じられ、海が近くて温泉もあり、徒歩圏内に食料品を買えるところもある。それに、東京へは車でも新幹線でも行き来できる。『終の住処はココ!』と思いました」(山本・以下同)

山本陽子さんのお宅

山本陽子さんのお宅。几帳面な性格で掃除も隅々まで行き届いている。床の間にはこれまで旅先などで買い集めた骨董品を飾っている。縁側にはリクライニングチェアとテレビを置いている

 

 東京で暮らしていたマンションは50坪だったが、別荘は48坪。

「極端に延べ床面積が減るというわけではないですが、これまで東京と別荘、2つあった住まいを1つにするわけですから、荷物の整理が大変。そして、東京にあった荷物を全部移すわけですから、それはそれは、大変な作業でした。

 私は独り者で子供がいませんから、特に自分で責任を持たないといけません。私にとっては大事なものでも、残して死んでしまうと、後に残された人は困るでしょうから、自分で思い切ってどうにかしないといけないと思っています」

整理整頓好きだったが捨てられない…

 そんな山本を困らせたのは、別荘の収納スペースが東京の家に比べて少なかったことだ。

「別荘は和をテーマにしていて旅館みたいに素敵なんですが、収納はクローゼットやお布団をしまう場所など最低限しかありませんでした。東京にあった荷物を全部持っていくことはできません。そこで、『断捨離しなければ!』と2か月ほどかけて荷物の整理をしました」

 元来、整理整頓好きで、部屋が片付いていないと落ち着かないタイプ。断捨離もすんなりと、うまくいくと思っていた。

 

「ところが、いざ整理し始めると、着られなくなった服も『ダイエットしたら、また着られるようになるんじゃないかしら』なんて思い始めてね。着ていないTシャツだって、『これ、寝巻きにできるんじゃないかしら』と迷ったり。でも、そうすると結局、捨てられないでしょ。洋服はサイズや好みがあるから、簡単に人様に差し上げられないですし。だから、洋服は『これはいまの私に合わないから、いらない!』と思い切って、捨てました」

 古い靴やバッグは、ドラマや映画の衣装を担当する知り合いに託した。

「私はゴルフが趣味でゴルフ用のスパイクも未使用のまま何足か持っていたんですが、いまはもうスパイクなんて使わないですからね。どうしようかと知り合いの衣装さんに相談してみたら、『ゴルフ用のスパイクだけじゃなくて、使えそうな靴やバッグも持ってきて』と言われて、お持ちしたんです。そうしたら、『これは貴重だからありがたい』って引き取ってもらえて。ありがたかったですね」

大切なものは手元に残した

 厳選して、手元に残したものの中には、趣味で買い集めたものもあった。

「私は食器が大好きで、親交のあった作家の宇野千代先生(享年98)と、あちこちの骨董品店にご一緒して、漆器類を買っては集めていました。京都では行灯(あんどん)も買いましたね。そのとき集めたものが、いまの家の和の雰囲気にぴったりハマって、ようやく日の目を見たという感じです。気に入った器だけは、どうしても手放せないんですね」

 そのほかにもどうしても手放せないものがあった。

「仕事で撮った写真や、これまで自分が出演したドラマ、映画を録画したVHSテープです。ビデオテープが思いのほかたくさん…200本以上もあったんです。写真はほとんど仕事で撮ったもので、大量にある。『こんなの自分以外持っていても価値がないし、早めに処分しなくては』と思っていたんですが、処分してしまうと二度と戻ってこないでしょ。だから決断できなくて、引っ越す際にすべて持ってきてしまいました」

 断捨離で荷物を大幅に処分したつもりでも、思いがけず引っ越し先に持っていくものが多かったという。

「実際に、荷物を持って行って、『いまの家にどれだけ入るか挑戦してみよう』という気持ちになってね。メジャーを片手に部屋の幅や高さを測って、『ああでもない、こうでもない』と考えていました」

収納家具は自分で作った

 ゲストハウスは別にあるため、いまは、住まいの茶室にふだん使うものを収納し、8畳の客間を丸ごと納戸に作り変えた。

「東京から持ってきた和だんす以外、収納する家具は自作しました。ホームセンターで発泡スチロールや板を買ってきて、寸法を測ってカットして組み合わせて、自分で棚を作ったんです。『プロに任せないの?』と、友人からは言われましたが、DIYを自分でするのが好きなんです、私(笑い)」

山本陽子さん自作の収納棚

自作の収納棚。安定するように、下の段にはアルバム、上の段には手書きのラベリングをしたVHSテープを並べている

 

 自作の棚は写真やVHSテープで満杯だ。

「写真はアルバムに入れてあるものや袋のまま手つかずのものもありますが、ひとまずここにすべて置いてあります」 

 家具の配置もすべて自分で考えた。

「和だんすがぴったりと“コの字”になるようにメジャーで綿密に測って、自分で家具を移動したんです。ぴったりハマったときの爽快感は格別です! 気に入らないときは夜中に起きて、ゴソゴソと模様替えをすることもありました」

 試行錯誤の末、現在はスッキリとした住まいとなり、好きなものに囲まれて暮らしている。

「客間にも使える12畳の居間には、6人分の椅子と漆のテーブルだけがあって、かなりシンプルなんですが、その横には広い縁側があり、毎朝窓を開けて、近くにある海からの風を浴びながら、グリーンを見るのが癒しの時間。いまの暮らしを選んで、本当によかったなと思います」

 80才になったいま、第二弾の断捨離をする予定だという。

「この年になると、この先のことをいろいろと考えるようになります。まわりにも亡くなるかたがいますし、そのかたがたの遺品を、残された家族がどうしようか頭を悩ます、なんてこともよく聞きますからね。ふと自分のことを考えると、改めて早めに自分のものは自分で処分しておかないとという気持ちになりました。それで、第二弾の整理は、秋になって涼しくなった頃に、また始めようと思っています」

【小さくしたポイント】

●ものの処分は70代と80代の二段階で

●思いついたら、すぐに模様替え

●部屋の大きさに合わせて収納棚は自作

●縁側スペースも上手に活用

●無理して手放さない

教えてくれた人

俳優 山本陽子

1942年東京都生まれ。1963年に日活第7期ニューフェイスとして芸能界入り。『黒革の手帖』(テレビ朝日系)や『白い影』『白い滑走路』(共にTBS系)などのドラマをはじめ、映画に多数出演。現在は、舞台を中心に活躍している。

 

取材・文/廉屋友美乃 *写真はすべてご本人より提供。

※女性セブン2022年8月4日号

 

 

正直、山本陽子さん存じ上げませんで…。すみません。

 

整理整頓が好き、夜中でも模様替え、唯一無二の記録は手放さない、私も全く同じです。

 

江原さんはエンディングノートを書くことの大切さや、自分自身の死後の準備をするよう、書籍に書いておられます。私自身は、住まう人間が主で、物は従である、という意識を忘れないようにしています。

 

部屋の理想は「ホテル」です。特に床に物を置かないようにしています。そして、必ず物の定位置を決めます。モットーは、「目が見えない人でも暮らしやすい部屋」です。それなので、電気をつけずに真っ暗だったとしても、手探りでだいたい動けます。

 

あれがない、これがない、と探す労力が勿体ないので、大事なものがわかるよう、そうでないものをなるべく置かないようにしています。

 

今の私にとっては、育児が最優先事項であるため、極力育児に集中できるように、物の管理と、模様替えの配置を試行錯誤しています。これは政治にも繋がるのかもしれませんが、何が一番重要なのか?それを生かすためにどうしたら良いか?考えて設計して行動する。育児中には無理であろうお菓子作りの専門的な道具とか、1年に1回も出番がなかったような類の物を、相当処分しました。育児中で作ってるお菓子は、米粉のホットケーキくらいですね。あとは本当に時々、クッキー焼くくらい。

 

定期的に模様替えをするため、家の中の物ほぼ全て、ホコリ以外は把握しているという状態です。逆に言えば、把握できなくなるほど物を置いていません

 

また、子供が騒ぐだけでも煩いので、ガチャガチャした模様も避けます。ワンポイント程度です。じゃないと認証が大変です。

 

かけがえのない思い出の品や、災害対応品以外は、場所を取らせないようにしています。

 

空けたスペースに、トイレットペーパー、水、米(真空パック分づき米・玄米)、などを置けるようにしました。

 

生理用品は、布ナプキンを覚えたのでそんなに消費しないのですが、いざという時に買えなくなると困るので4~5パックほどストックしています。

 

 

 

第3子は1歳半前におむつが取れました。排泄の自立も非常事態には影響すると思うので、早いに越したことはないと思います。私は布おむつで育てたので、紙おむつ(正しくは石油おむつ)ゴミもほとんど出ませんでした。お子さんをお持ちの他所のご家庭だと、おむつゴミの量の凄いこと凄いこと…。老人も使い捨ておむつですし、使い捨ておむつゴミ問題、深刻なように思います。

 

因みに、産まれた直後からおむつなし育児であったため、気合い入れて沢山縫った布おむつ、半分くらいしか使いませんでした。

 

 

何しろ、お手本にしているのは「アフリカのお母さん」です。

 

皆さん色々事情があってお子さんを預けて働かれるのだと思うのですが、せめておむつ外れる頃くらいまでは、つきっきりで一緒に居てあげたらいいのになぁ…って思ってます。この点は、直接の友人知人から総批判をくらっていて、「子供預けて働いた方がいい」「子供を幼稚園に入れた方がいい」この一辺倒です。ハァ。賛成してくれてるのは夫と実父くらいですね。

 

これはアフリカのお母さんくらいしか共感を得ることはできないでしょうね。現代日本では総スカンですな。しかし、お注射と同じで、子供が「預けてくれ」と頼んだか?と思います。親の都合だけです。

養老先生はわかってくれるかもしれない。

 

 

 

 

第3子を妊娠中に、住人が一人増えるということは、一人分荷物が増えるということだから、産まれた子の分の物を置けるように減らさなくては、と片付けに片付けたのを懐かしく思い出します。書籍も随分処分しました(涙)服も処分しました。

 

食生活もですが、現代は何を「足すか」じゃなく、何を「引くか」のほうが必要だと思います。

 

江戸時代の長屋暮らしって凄いと思います。どう考えたって、あの狭い部屋で家族で住んでるなんて、どんだけミニマリストなんだ。

 

今回は、「暮らし」の上での「後始末」に焦点が当たっていますが、今の世の中、環境のこと、教育のこと、医療、政治、使い捨て社会… 後になってきちんと元に回収できるのだろうか?と俯瞰しています。今のところ、全部やりっぱなしです。原発も。

 

暮らしの後始末然り。人生の後始末然り。地球資源を使った後始末も、使った者の責任としては然りではないのでしょうか。

 

強引にサインさせて押し売りしてブタゴリラ~♪被害を出した責任者は、きちんと後始末するべきだと思いますけどね。

 

詐欺罪に等しいと思ってますけど、国民が賢くなるしかないです。

 

やりっぱなしの現代人を、雲の上の神様は、どう思っていらっしゃるでしょう。

 

エンディングノート、中途半端に始めてから10年になりますが、たまには更新しないとです。 

 

暮らしの重点と、自分の死後を考える。備えあれば憂いなし。備えよ常に。

 

立つ鳥跡を濁さず。

 

山本陽子さんの生き方・暮らし方から再確認です。