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元介護士、バンコク駐在妻の
Machicoです。
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25年前の昨日1月17日は
阪神・淡路大震災が起きた日
もう25年も経ったけれど
あの時のことはよく覚えてる。
当時小学3年生の私は
父、母、妹、私の順に
川の字に寝ていた。
ドンッという
床から突き上げられるような
衝撃にびっくりしたと同時に
布団が私をすっぽり覆った。
その上に箱のようなものが
落ちてくる感覚
「地震や!」という父の声と
「大丈夫か!Machico!」
と私と妹の名前を呼ぶ母の声
母が布団を私たちにかけ
覆い被さったのだと知った。
‟息苦しい”
障害物から私たちを守るために
布団をかけてくれたけれど
私は息苦しくなって
必死に出口を探して顔を出した。
そして、同じ状態かもしれない
妹が心配になり妹の頭を探した。
薄暗い部屋の中
落ちてきたものはタンスの上にあった
衣装ケースだと知った。
まだ揺れている。
家が床が地面が揺れている感覚
余震がしばらく続いていた。
余震が落ち着いたのを見計らって
リビングへ移動
調味料が全て倒れ
醤油臭さが充満してた。
父と母が
ラジオでニュースをつけ
ろうそくに火をつけた。
小学生だった私は
いつもと違う朝にドキドキしながら
「学校休みやったらいいのに」と
そんなこと考えてた。
私たちの住む地域は
水は出なかったけど
電気はすぐに復旧した。
パッと点いたテレビに映ったのは
火と煙に覆われた長田区の映像
「おばあちゃんあかんかもしれん・・・」
とつぶやく母
長田区の一軒家で
ひとり暮らしをしていた
60代のおばあちゃん
我が家は車がなかったので動けない。
母が近くに住む妹(叔母)に電話した。
数時間後
叔父がおばあちゃんを見つけてくれた。
おばあちゃんの家は半壊
家におらず探したら
動くはずもない電車のホームで
呆然としていたらしい。
25年も経ってるのに覚えてる。
小学校の講堂にたくさんの人が
暮らし始めたこと
トイレの後はバケツで流したこと
洗面台で髪を洗ったこと
水をもらいに父とバケツを持って並んだこと
仮設住宅に住む同級生のこと
当時9歳の私は
失ったものの重要さに目を向けて
考えることもなかったけれど
年月を経るとともに
被害に遭われた方の痛みを
知るようになりました。
災害は風化するといわれるけれど
阪神・淡路大震災が教えてくれたことは
たくさんあり
確実に次世代に引き継がれています。
兵庫県は25周年を節目に
「震災を風化させない『忘れない』『伝える』『活かす』『備える』」
をコンセプトにした事業を展開するそう。
当時は何もできなかった私
25年の歳月を経て
「震災を風化させない」役割を
担えたらいいなと思い
この記事を書いています。
最後に
あの時から毎年のように歌って
沁みついているこの歌を
お届けします。
地震にも負けない
強い心をもって
亡くなった方々のぶんも
毎日を大切に生きていこう
歌:『しあわせ運べるように』
http://www.shiawasehakoberuyouni.jp/
みなさんの今日が幸せでありますように
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