浅草の歴史(板碑と石浜橋場の寺院)6 | まっちーのブログ

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浅草の歴史(板碑と石浜橋場の寺院)6

板碑とは何か、寺院の寺伝縁起について

 

1.不動院

天台宗寺院の不動院は砂尾山と称し、砂尾長者が天平四年(760年)に開いたという伝承を伝えています。また、「浅草名跡誌」には、砂尾山橋場寺と称しています。

 

天台宗浅草寺末本尊砂尾不動は良弁僧正作砂尾薬師恵心僧都作なり「南向茶話」は此処所に往古砂尾修理大夫という人あり、太田道灌と合戦あり。

 

石浜の戦いというは是成り。砂尾修理大夫建立の寺故砂尾山と云うなり」とも記されています。

 

また、「江戸名所図会」は「砂尾不動院は橋場寺と号す。渡し場の少し南のほう、道より右に有り。

往古は法相宗なりしが往持教円師の代長寛発末歳(1164年)より宗風邪を転ず」と記し、「縁起として本尊の不動明王像は良弁僧都が相州大山寺に往在の時に刻んだ三体の一体で大山寺の不動明王像と同本一体で良弁上人が上足(弟子)寂昇に与え良縁の地に案ずべしと云われ、宝亀四年(773年)良弁上人は入寂しました。

 

寂昇は上総に赴く途中、石浜の地に来て、霊告によってこの地を有縁の地と定めて僧堂を営んだのが同山の創めと伝えています。

 

されど、伝記に修理大夫ことを載せず、また道灌と戦うこと諸書に見当たらずなお考えるべし」と記されています。

 

以上が石浜(橋場・今戸を含む)地区の寺院の寺伝縁起であります。

 

 

 

代表 まっちー音譜 

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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