江戸と浅草「江戸幕府の行政機構について」(その10) | まっちーのブログ

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江戸と浅草「江戸幕府の行政機構について」(その10)

それでは百石級の御家人から見ていきます。


百石取りというのは百石の米の取れる地域を拝領しているということから「知行取」の武士もいましたが、江戸中期ごろには「切米取」が多くなったと言われます。

 

ただしこの当時は未だ四公六民であったので四十石が給与された訳であります。

 

これを白米にすると三十五石、約百俵であります。百石取りだと軍役表に照らして槍一本を持たなければならない。

 

そして登域には槍持、中間をつれなければなりません。

 

故に使用人は二人であるし、家庭内にも下男下女を使うのであるが、収入から言ってそれだけの人数は使えない。

 

主人と妻だけだとしても、計六人、これの一年の米の使用量がぎりぎり見積もって九石はかかります。

 

 

九石を三十五石から引くと二十六石、仮に一石一両にして二十六両の家の事から対外的の事を賄わなければなりません。

 

さらに槍持・中間・下男下女の給与を最低基準として五両とすると二十一両、これに塩・味噌・酒・青物その他惣菜代に薪を一人当たりに両とすると十二両かかり九両しか残りません。

 

自分と妻の夏冬の衣類代の他、病気の薬代、医者代。慶弔交際もあるのでとても無理でたいていは中間一人下女一人くらいしか使えなかったようであります。