東海道走破(神奈川宿〜保土ヶ谷宿) | まっちーのブログ

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今回は「神奈川宿から保土ヶ谷宿」まで走りました。

このあたりは神奈川の台といい、風景眺望他に越えたりと言われ、茶屋が軒を連ねた台の下は海になって、房総が遠望できたそうです。

確かに走って、坂が多かった。

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大網金毘羅神社
海運関係の信仰が多いそうです。


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田中屋
文久三年(1863年)創業の料亭。広重の絵に描かれている「さくらや」を買い取ったもの。
勝海舟の紹介で坂本龍馬の妻・おりょうがここで働き評判であったそうです。


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勧行寺
「天然理心流元祖 近藤先生之墓」通称内蔵助長裕の墓があります。新撰組局長近藤勇はこの流派の4代目。


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浅間神社
源頼朝が不二で巻狩りをした折に命じられた家臣が穴に入り、翌日ここより出たと言います。
山の上に社があり、「富士の人穴」有と言われました。
この穴は横穴式古墳でありますが、当時富士山麓まで続いていると言われました。


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追分


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橘樹神社
この地の氏神。本殿は近年建替えられました。境内裏の「神田不動尊」は大山道道標を移設して祀ったものです。境内には保土ヶ谷で最も古い庚申塔や明治天皇東幸遺蹟碑があります。


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保土ヶ谷駅を越えると橋を模した公園があります。
ここが当時帷子川があった位置です。広重は橋を渡り切ったところに「二八そば」屋を描いています。

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香象院
高野山真言宗普賢山東国新四国第三十三番薬師如来

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髙札場跡


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金沢道道標
金沢横町道標が四基あります。金沢浦賀への追分にあたり、金沢横町と呼ばれました。


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ここ神奈川宿から保土ヶ谷宿までは、「神奈川台」と言われ、十辺舎一九の東海道中膝栗毛の中で「たどり行くほどに金川の台に来る。ここは片側に茶店軒をならべ、いずれも座敷二階建て・欄干つきの廊下・桟などを渡して浪うちぎはの景色いたってよし」といわれました。
神奈川台の現風景はビルが林立し、海は全く見えません。これは明治五年(1872年)品川~横浜間の鉄道敷設に際し、会場を通すために一帯を埋め立ててしまった結果と言えます。ちなみにこの事業は高島嘉右衛門が請い、「高島町」「高島易断」と名を京に残しています。横浜港を見下ろす台上には記念碑が建っています。

代表 まっちー音譜


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