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今回は「神奈川宿から保土ヶ谷宿」まで走りました。
このあたりは神奈川の台といい、風景眺望他に越えたりと言われ、茶屋が軒を連ねた台の下は海になって、房総が遠望できたそうです。
確かに走って、坂が多かった。
浅間神社
源頼朝が不二で巻狩りをした折に命じられた家臣が穴に入り、翌日ここより出たと言います。
山の上に社があり、「富士の人穴」有と言われました。
この穴は横穴式古墳でありますが、当時富士山麓まで続いていると言われました。
保土ヶ谷駅を越えると橋を模した公園があります。
ここが当時帷子川があった位置です。広重は橋を渡り切ったところに「二八そば」屋を描いています。
香象院
高野山真言宗普賢山東国新四国第三十三番薬師如来
ここ神奈川宿から保土ヶ谷宿までは、「神奈川台」と言われ、十辺舎一九の東海道中膝栗毛の中で「たどり行くほどに金川の台に来る。ここは片側に茶店軒をならべ、いずれも座敷二階建て・欄干つきの廊下・桟などを渡して浪うちぎはの景色いたってよし」といわれました。
神奈川台の現風景はビルが林立し、海は全く見えません。これは明治五年(1872年)品川~横浜間の鉄道敷設に際し、会場を通すために一帯を埋め立ててしまった結果と言えます。ちなみにこの事業は高島嘉右衛門が請い、「高島町」「高島易断」と名を京に残しています。横浜港を見下ろす台上には記念碑が建っています。
代表 まっちー
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