1985年 | 町田ロッテと野球散策

町田ロッテと野球散策

いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

あの年、母を亡くしました。

当時新駅であった武蔵砂川駅近くの家に住んでいましたが、その年の夏休みから親戚に引き取られるように、居候生活となりました。

居候先の従兄弟は、なぜか阪神ファンでした。その年の阪神は絶好調で、毎朝、西武柳沢駅前の売店まで日刊スポーツを買いに行くのが私の仕事でした。当時は今ほどコンビニエンスストアもありませんでした。

駄菓子屋もありました。そこで買うのはもちろんプロ野球チップスでした。そして阪神の選手が出たら、否応なく従兄弟に没収されました。私はなぜか山本和行や中西清起を引き当てることが多かったのですが、手許には残らず。代わりに原や吉村まみれになりました。理不尽極まりないものでしたが居候ゆえ、耐え忍ぶしかありませんでした。

その年の日本シリーズは、地獄でした。武蔵砂川の前は東大和市駅の近くに住んでおり、その前は保谷。ずっと西武線沿線に住んでいる私はもちろん西武ファンでした。1982年、翌83年と広岡監督のもので日本一になった西武は84年こそ阪急に負けましたが85年は再びパリーグを制覇したのです。当然、日本シリーズも広岡西武が制覇するものだと思っていました。相手は「21年ぶりの優勝」となった阪神タイガース。

 

ゲイルがピッチャーゴロを処理してゲームセットになり、阪神が日本一になった瞬間は忘れられるものではありません。ちなみに最後の打者は、当時熱心に応援していた伊東勤…後年マリーンズの監督を務めるあの伊東でした。それだけに、相当悔しい日本シリーズとなりました。従兄弟には、今でいうマウントを取られ続けたものです。

 

あれから38年ですか。