この年になると、全く嬉しくないものです。子どもの頃はわくわくした誕生日でも今ではもうため息しか出ません。いつからか、年齢と生まれた年を知られたくないと思うようになりました。
その齢に、全く「相応しくない」と思ってしまうからです。自分の中に「◯◯歳はこうあるべき」「◯◯歳はこうあるべきでない」と思ってしまうからかもしれません。なので、全く面白くないのです。苦しいだけです。そして地球の自転は待ってくれることなく365回転し、また一つ年をとるのです。
しかし、そんな面白くない事態は自分で打破していきたいものです。「新しい◯◯歳」を作るのもありです。所詮、「べき」「べきでない」は、他者との比較です。
つい先日、20歳らしからぬ偉業を18歳らしくない若者との絶妙なバッテリーで遂げられたのを観たばかりだから、そう思えるのかもしれません。
つい先日、ロシア文学者の亀山郁夫氏による『人生百年の教養』という本を読みました。表面は老いても中身はみずみずしくありたいという、教養のすすめです。驚いたのは、外国語大学の学長を務めた亀山氏が、多忙な中でオンライン英会話教室に臨んだという話でした。すでに60歳を超えてもなお、勉強に励むのです。そして、乱読し、映画を観まくり、音楽に浸りまくります。
年齢はさておき、追究する姿勢がいいかもしれないと思いました。
今から私も、完全試合ができるかもしれません。