先日ロッテ浦和球場に行った際、様変わりしたJR武蔵浦和駅構内の書店でのことでした。
なんだこのあまりにも衝撃的なコピーは!!
迷った挙句、買ってしまいました。惹かれた動機、タイトルのみ。
数ページ読んで「ははぁこれが『埼玉化』か」と分かるものの、手に取る前に脳内で想像する「埼玉化する日本」という凄まじい光景はとんでもないものでした。
・日本が「埼玉国」もしくは「彩の国」になる。
・首都はもちろんさいたま新都心。
・コバトン人気がもうふなっしーなんて歯牙にもかけないくらいになる。
・日本全国西武ファン。
・もちろん西武鉄道は全国を走る。
・秩父夜祭の来場者が来日外国人を含めて1億を超える。
・世界は大宮を中心に回る・・・
・ロッテ浦和球場、「日本六大ドーム」に名を連ねてレディー・ガガ来場!!
(さいたまスーパーアリーナがあるでしょうに)
もちろんそんなことが書かれている本ではありませんでした。
埼玉は、私も大好きなショッピングモールがかなり充実しています。しかしショッピングモールですべてが揃うわけではなく、百貨店や流行の最先端を行った上質な「高感度商品」(この言い方、あまり好きではないのだが)が売っているショップのある都心へのアクセスも抜群なのが埼玉なのです。どちらへも気軽に行ける「ほどよい消費」が楽しめる埼玉のような都市が今後増えていくであろうというものでした。
なるほど。
多くは頷けました。
ただ誰もが「高感度」を求めているわけでもありません。それは人それぞれですので「あるべき消費」を語る際には「集合の中における多様な感性」を担保として語られねばなりません(もちろんいろんな消費タイプの人が住めるからこその「埼玉(化)」であると言えるかもしれません)。要は、私のように「ショッピングモールさえあれば生活はほぼ事足りちゃう♪」という人がいてもいいわけなのだと確信しました。
たまには自分の「消費」のスタイルを考えるのもいいものです。
(続くかもしれない)