中郷大樹 のライオンズ移籍が発表されて一夜、まだ背番号39の中郷のイメージが全く沸きません。実はあまり好きではない今のライオンズユニ(何と言っても見づらい!ローマ字の名前も字体が独特すぎて読みづらく、岸 なんて「ひし」に見えて仕方がないのです)。そのユニフォームで「39」をつけたのは昨年引退した岳野竜也 捕手ただ一人、岳野がマウンドで投げるイメージか?
いや、ちょっと無理があるな。
そこで背番号「39」についてちょっと考えてみました。しかも西武限定で。はっきり言って投手のイメージは全くありません。
しかしちょっと遡れば・・・レジェンドにぶち当たります。
私が未だに最も愛する助っ人です。1989年途中に来日した時から眼鏡着用で「大丈夫か?」と思ったのですが、むちゃくちゃ打ちました。しかも確実に日々の勝利に結びつける打撃は、もちろん1990年~92年までの西武の3年連続リーグ優勝及び日本一にしっかり貢献しました。ホームランを放ったときの豪快な弓引きガッツポーズは、最高のエンターテインメント。第一志望の高校に合格した1990年冬、合格発表がなされた高校の掲示板前で私は彼のガッツポーズをしたものです。
そしてなんと言っても、ファンにこれだけ愛された外国人選手を私は他に知りません。愛称は「オーレ」、日本語も積極的に習得し、引退後に来日した際にはゲスト解説で日本語を披露していました。
故郷フロリダに新球団マーリンズができた際に西武を退団、むちゃくちゃ悲しかったです。しかしオーレにとって故郷のメジャー新球団の誕生は格別のものだったに違いありませんので、理解もできました。
1995年西武復帰時には打者としては活躍できませんでしたが、投手として1試合登板しています。アウト1つも取れずに降板してしまいましたが。
オーレの話になると止まりませんので他の選手にも触れます。デストラーデが西武に所属したのは1989年~92年、そして復帰した95年ですが、上述の通りマーリンズに所属していた2年間に西武の「39」をつけていたのが、豊田清 でした。西武時代はクローザーとして活躍、ただし豊田が一軍で投げ始めたのは95年のデストラーデ復帰によって「38」に変更してからでした。
なお西武を離れれば、漫画「グラゼニ」の主人公が「39」です。あとは田畑一也(ヤクルト)か山崎慎太郎(近鉄)か。
中郷大樹が、新たな「39」伝説を作ってくれるかもしれません。
(おお、そう言えば「ジャングル大帝」ユニを着た中郷が登板する可能性もあるのか。これはこれで、見たいです!)
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