森村誠一『人間の証明』 | 町田ロッテと野球散策

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いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

まさかNHKのスポーツニュースのトップで角中勝也選手の契約更改が扱われるとは思わなかった。さすが首位打者である。来年も、期待しよう。



森村誠一『人間の証明』を読んだ。やはり、ただのミステリー小説ではなかった。本当に真摯に、人間を描いてくれたものである。

数年前、竹野内豊主演でドラマ化された時はあまり真面目に見なかったが、河口恭吾の歌うエンディングテーマがとても格好よかったのを覚えている。そのテーマ曲を頭の中に流しながらの読書だったが、話が進むうちに、思考を巡らしてしまうのである。

敗戦後、日本は誰もが苦しんだ。日常が異常事態だとも言える。ただし、今だからそう言えるのである。しかし短い間に日本は急成長を遂げ、敗戦二十年もしない間に一流国の仲間入りを果たしたのである。そしてある者は名声を得て、富める者となる。その一流国において地位を築いた者にとっての敗戦間もない頃の過去(あるいは戦時中の過去)は、時に覆い隠したいものとなってしまうかもしれない。その時の流れの描写が見事であった。ただ一流国となった国の民は、こうして人間性を失っていく場合もある。その極端ともいえる殺人事件を描いたのが本作であるが、最後に証明されるのが「人間」であったことが救いとなり、読者の胸を打つのである。同様の時代において同様の境遇を迎えた話は、松本清張の『ゼロの焦点』でも描かれた。占領下で身を落とした女が十余年の時を経て上流階級の夫人となった時、きっと過去は消したいものとなるだろう。ただ、「母と子の心の通い」は(数少ないケースかもしれないが)残っていた。そして自らの命と引き換えに息子を外国の母親に逢わせてやった父親も衝撃だった。そこに人間は、いた。

この『人間の証明』はちょうど私が生まれた頃が舞台の話である。ただ、今もその輝きは失わない。現代において人は機械に支配され、家族より個人に己の重きを置く時代のように思える。人をより尊重しなくなったと言えるかもしれない。なるほどシステム化は仕事の効率を上げ、事が進むのに人の力を介在する事をなるべく省くように努める。それが、システムがシステムたるゆえんでもある。ただそこで省かれた人は、一体なんなのだろうか。要らないのだろうか。私は、断じて否と言いたい。今も昔も、人は人と一緒に世界で生きているのである。どんな時代も、その前提を崩してはいけないと思う。

そのような時代にこそ『人間の証明』には輝いてほしいのである。



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