生きよう | 町田ロッテと野球散策

町田ロッテと野球散策

いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

 寒さも厳しさが増す。日曜の今日、私が通勤で使う小田急線は久々にまともに走った。小田急線は、呆れるほどまともに走ることが少ないような気がする。いつもダイヤが乱れるのである。ただ、これも世界的に見たら贅沢な話かもしれない。イタリアではそのお国柄か、遅れるのが当たり前だと聞いたことがある。

 車内放送で詫びる車掌のアナウンスも手慣れたものである。小田急線に限らぬことではあるが遅延の原因はいくつかある。設備不良、客同士のトラブル、急病人の発生、踏切における乗用車の立往生、沿線火災などがある。しかし師走になって増えてきたような気がするのが、人身事故である。事実昨日の小田急はそれで運転を見合わせざるをえなくなり、我々の帰宅の足を直撃した。小田急一本で帰れるところが、運休区間を相鉄線で迂回する羽目になり、倍の時間がかかってしまったのである。

 そうなると鉄道会社に恨み言の一つでも言ってみたくなる。実際に言った事もある。しかし鉄道会社にとってはとんだとばっちりでもある。言っても詮無きことなのである。

 「年を越せない」

 師走に人が線路に飛び込む理由としてよく語られるところである。生憎その時の心境は私には解らない。ただ我々の被った「迷惑」は一夜で終わるが、家族や知人・友人をいった周囲の人間にとってはそうではない。

 生を享けた者が己でその人生に終止符を打つ事は、生んだ者に対する冒涜である。生を享けた者は如何なる苦境にあっても己の力で人生の転轍機を動かす事を辞めてはならない。

 生きよう。とにかく、生きよう。