神秘に包まれた孤島。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

神秘に包まれた孤島。。。

思い立ったら旅に出よう〜滋賀吟行④神が斎く島 竹生島〉



2日目に向かったのは琵琶湖の北に浮かぶ〈神が斎く島〉と言われる竹生島。明治時代まで女人禁制でしたが、日本で最初に弁才天信仰が根付いた島で、豊臣秀吉の正妻寧々も信仰していたとのこと。



切り立ったむき出しの岩壁が特徴的な竹生島。観光客を歓迎しているのか、それとも自分達の楽園を荒らすなと警戒しているのか…無数の白鷺が舞っていました。



724年に竹生島は弁財天の聖地であるというお告げを受けた聖武天皇が、堂塔を建立したのが宝厳寺の起源。宝厳寺の弁才天は三大弁才天の中でも1番古く日本で唯一「大弁才天」と呼ばれています。



そして日頃の行いが善いからか60年に1度しか公開されないはずの本尊の秘仏「大辯才天像」が、開山1300年を記念してなんと特別開張されていましたキラキラ音譜



前回の公開は1977年で本来なら2037年まで見られなかったのですが本当に幸運なことに、全長18センチと小さな小さな秘仏にお逢いすることが出来ましたクローバー



大修復が行われ鮮やかに甦った豪華絢爛な国宝「唐門」も見事でした。唐門とは建物の中央が高く左右に向かってなだらかな曲線で垂れる形をした唐破風を持つ門という意味だそう。



桃山時代の伝統様式で作られたこの唐門は、秀吉が築いた1615年に夏の陣で消失した大坂城にあった屋根付きの橋「極楽橋」の唐門で、京都にあった豊国廟(秀吉の霊廟)から竹生島に移築されたもの。



徳川家康により灰燼に帰した幻の大阪城の唯一の遺構ということになります。扉を埋める真っ赤な牡丹の花、極彩色の鳥や動物の彫刻が施された唐門は秀吉の栄華を象徴するかのよう。



一方で修復される前の写真を見るとかなり色褪せていて、秀吉のシンボルである霊廟が孤高の島にひっそりと佇み風雨に晒されていた姿に、戦国の世の無常を感じずにはいられませんでした。



こちらは〈賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)様〉で別名「撫仏」。病気を治す力があるとされ、自分の悪い所を撫でると、その部位の病気が治ると言われています。



豊臣秀吉が乗っていた船を再利用して作られた〈舟廊下〉。朝鮮出兵に使用した御座船日本丸の船櫓の材料を用いて建てたという伝承が。



今回楽しみにしていたのは琵琶湖が見渡せる絶景ポイントの、都須夫麻神社(つくぶすま)の境内にある龍神拝所での、願い事を書いたお皿を投げる〈かわらけ投げ〉




かわらけ投げは平家物語にも出てくるそうで、湖岸沿いに立つ宮崎鳥居をくぐると願いが叶うとのこと。上手く投げられたのですがあと1メートルぐらい足りなかった…。



ちなみ宮崎鳥居は弁天様しか通れないそうで、人は祭礼の時だけ通るのが許されているとのこと。近くに弁才天様の使いとも言われる大蛇の姿が!何か良いことがあるかも🍀



宝厳寺の傍には鎌倉時代のものといわれる五重塔が。重要文化財の指定を受けているのは全国で7基しかないそうでそのうちのひとつ。



宝厳寺の境内に植えられた樹齢約400年のモチの木。宝厳寺の普請を任せられた秀吉の家臣で秀頼の後見役である片桐且元のお手植えとのこと。



最後にお詣りしたのは黒龍大神と黒龍姫大神が祀られている黒龍堂。お堂の側の大木は黒龍が湖から昇ってくると伝えられている御神木です。



1時間ほどで周れる小さな島〈竹生島〉女人禁制でありながら女性に守られた歴史や下剋上の戦国の世で天下人となった秀吉の遺構の数々。信仰と神秘に包まれた湖上の島で詠んだのは…



〈断崖に   白鷺の舞ふ     竹生島〉


〈太閤を 偲ぶ唐破風    夏の風〉


〈弁天に    祈りし後に   蛇出る〉





比叡山延暦寺と竹生島を巡った滋賀吟行。今回も知らない歴史を知ることが出来ましたし、新しい気づきが沢山ありました。次回の吟行も楽しみですキラキラ音譜音譜