地震は必ず起きる。。。
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また被災地で手弁当で活動をしている医療介護関係の仲間を支援するための寄付へのご協力もありがとうございました。NPO法人ヒューマンシップコミニティー代表の佐野さんがみなさんの気持ちをしっかり届けてきます。
まずは1月4日に現地に入った山梨市立牧丘病院の古屋聡先生から活動報告をしていただきました。古屋先生は東日本大震災の時に「ふるふる隊」を結成。
〈DC-CAT (Disaster Community Care Team)〉という被災地の支援や復興に関わる医療ケア専門職のチームの一員としても活動しています。
DC-CATを構成するのは災害支援活動のスキルを持つ医師・看護師・介護福祉士・社会福祉士・薬剤師・歯科衛生士などの多職種です。
災害医療では医師や看護師による救命や治療をイメージするかもしれませんが、命が助かった後の避難所生活を支える支援も必要不可欠です。
特に断水で水やトイレが使えない避難所での口腔ケアや食事は、誤嚥性肺炎などによる高齢者の災害関連死を予防するために非常に重要です。
山梨から仲間の保健師と薬剤師と現地に入った古屋先生。時系列で被災地での支援体制がどうやって進んでいったのかを分かりやすく説明してくれました。
ニッポン放送「ひだまりハウス」でインタビューしたぐるんとびーの菅原健介くんや福井のオレンジホームケアクリニックの紅谷浩之先生と
一緒に活動していたそうで、道も寸断され土砂崩れの危険のある道を抜けDMATさえまだ入っていない場所に、迅速に支援に入れたのは地域を超えた繋がりが元々あったから。
ケアの現場で日々実践している多職種連携の本領が、こういった災害時に力を発揮するということが古屋先生の話から伝わってきました。
DC-CATのゴールは被災地の医療介護サービスの機能回復、そして自立してケアを提供できるようになること。
一般のボランティアも入りやすくなり避難所の状況は改善され、ケアや治療が必要な高齢者や患者は金沢などへの2次避難が終わっているそう。
ただ裏返すと地元の病院や施設から患者や利用者が居なくなるという皮肉な状況で、勤め先を失う専門職が出ていると古屋先生は指摘。
またケア従事者も被災者ですので避難先から戻れない場合もあり、これから医療、介護、教育といったインフラを通常に戻すためにどうするのかが課題になるとも。
第2部では〈東日本大震災の体験から能登半島地震を見る〉と題し、宮城県薬剤師会相談役の丹野佳郎先生と埼玉県薬剤師会災害対策委員の水八寿裕先生が登壇。
丹野先生は東日本大震災が起きた時に石巻市で働いていました。石巻市は地震と津波と火災に見舞われ被害が大きかった地域です。本来なら高い建物に避難すべきでしたが
どうせ助からないならば「家族のそばが良い」と丹野先生は自宅のある反対方向へ…。津波に巻き込まれずに済みましたが、勤務先は火に包まれました。
自分の失敗を話すのは災害時の判断ミスは、死に直結するということを痛感しているから。「生死の境を分けるのは2分間」とにかく生き残ることが大切だと丹野先生。
そして東日本大震災の教訓からこれから仮設住宅での暮らしも始まる中で、孤独による災害関連死を防ぐためにも多職種連携が鍵を握ると言っていました。
そして埼玉県薬剤師会として被災地に入った水先生からは薬剤師の役割や臨時の災害処方が出来るモバイルファーマシーのメリットなどについてお話いただきました。
第3部では理学療法士の河合麻美さんから「被災時の生活不活発病予防法」、同じく理学療法士で支援に携わった菊池裕美さんは福祉避難所の様子を教えてくれました。
出張歯科四つ木院長の池川裕子先生からは自分で出来る「避難所での口腔ケア」、管理栄養士の加藤由美子さんからアレルギーのお子さん用のビブスの紹介があり
我儘を言いにくい避難所でパッと見て気づいてもらえる一工夫だなと思いました。本当に盛り沢山な内容で、司会の私としては時間内容に収まるか不安でしたがなんとかなりました
今回は一般の方も沢山参加してくれましたが、医師、看護師、薬剤師、歯科医師、理学療法士、保健師、介護職が連携して災害時に活動をしていることを知っていただく機会になったかなと思います。
いざという時に自分自身や大切な家族の身を守る行動が出来るかは、日頃からの備えにかかっています。〈地震は必ず起きる〉を前提にして東日本大震災や能登半島地震での教訓や経験を次に生かしていきたいです