この街に託して。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

この街に託して。。。

高齢者コミュニティの創造を目指して1973年に設立された日本老人福祉財団50周年式典のお手伝いを先日してきました。



式典のゲストは書家の金澤翔子さんとお母様の泰子さんで、きっといつかご一緒できると思っていましたので感無量でしたキラキラ



「上手く書けるかな…」と小さな声で呟きながらも、一筆一筆しっかりと迷いなく書き進めていく翔子さん。こんなに心が揺さぶられる書は他にはないと感じました。



同じく書家の泰子さんに師事して翔子さんが書道を始めたのは5歳の時。現在38歳でまもなくプロデビュー20周年を迎えるそうです。



翔子さんの活躍はみなさんもご存知だと思いますが、東京オリンピックパラリンピックの公式ポスターやNHK大河ドラマ「平清盛」の題字も担当。



生まれた直後に知的障害があることを告げられた泰子さん。今から約40年前でまだ障害者が生き辛い時代で、一緒に死のうと思ったこともあったそうです。



ですが「今は1番幸せな母親だ」と笑顔で話していました。そんなお母さんを見つめて「綺麗」「若い」とちゃめっ気たっぷりの翔子ですが、込み上げてくるものがあったのか目には涙が…。



私もテレビで拝見しましたが、1人暮らしも絶賛継続中で 8年目ビックリマーク泰子さんは始めは難しいかなと思ったそうですが、商店街の皆さんと見事なまでの素晴らしいコミュニティを作り上げているとのこと。



これまでがむしゃらに走り続けてきた金澤親子ですがコロナ禍によりイベントが壊滅状態に。逆に2人でゆっくり過ごすことが出来て「こんな幸せな時間が持てるなんて」と泰子さんは言っていました。



また翔子さんは料理が得意で泰子さんのためにも作ることもあるそうです。得意な料理はカレーとタンドリーチキンとのことキラキラ音譜



翔子さんが若いと言うように80歳とは思えない泰子さんの新しい目標は娘に介護してもらうこと。障害を持つ子供と共に生きる親御さんに共通する苦悩は親亡き後のことですが



自立した暮らしを自分の手で創り上げている翔子さんの未来に不安はありません。「翔子をこの街に託して死んでゆく」という泰子さんの言葉は力強く希望が溢れていましたクローバー



「世の中は捨てたもんじゃない」とも言ってましたが、同じ時代に障害と共に生きた私も心からそう思います。翔子さんと泰子さんとはまたご一緒できる予感がします。お目にかかれて本当に良かったですラブラブ