最期に大切にしたいこと… | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

最期に大切にしたいこと…


きのう11月30日は「人生会議の日」ということで相模原市在宅医療・介護連携市民講演会にて「住み慣れた地域や我が家で最期まで〜十八歳からの十年介護〜」をテーマにお話をさせていただきました。



〈人生会議〉とは"もしもの時"のために自分が望む医療やケアを前もって考えて、家族や医療・介護従事者と繰り返し話し合い共有する取り組みです。



英語ではアドバンス・ケア・プランニング(ACP)と言いますが、2018年に厚生労働省がこのACPを〈人生会議〉という愛称で呼ぶことを決め普及活動をしています。



一部では「介護付きホーム研究サミット2023」でもご一緒した「もし余命半年と宣告されたら…」そんなもしものための話し合いをするきっかけを作るための



「もしバナゲーム」を開発した医療法人鉄蕉会亀田総合病院の蔵本浩一先生が「〈人生会議〉について考える」と題して分かりやすく人生会議を紐解いてくれました。



終末期を迎えた時に自分で判断したり意思表示が難しくなる場合があります。そんな時に備えて、受けたい医療や受けたくない医療に関してあらかじめ文書に残したものを〈事前指示書〉と呼びます。



痛みの緩和についてや最期を迎えたい場所、さらに心臓マッサージ、人工呼吸器、胃ろうなどを希望するかについての記入欄や決定を誰に託すかも指示することも出来ます。



ただ蔵本先生はアメリカで実施された研究で事前指示書を書いただけでは、患者がより良い最期を迎えられないという結果が出ていると指摘します。



なぜ事前指示書が役に立たないのか。代わりに決定をする家族などが事前指示書の作成に関わっていなかったり、本人の選択について家族が理解していないために



患者の意思が反映されず、事前指示書通りの医療やケアの選択が行われないという現実があるとのこと。また医療者と家族が考える最善が本人の意向と一致しないケースも。



原因は患者本人と家族や医療者のコミュニケーションが十分ではないということであり、そんな現状を受けて始まったのがアドバンス・ケア・プランニング(ACP)です。



終末期に患者の意向や希望をきちんと叶えるために大切なのは書面に残すことではなく、あらかじめ家族や医療者などと〈話し合うプロセス〉であるという考え方が生まれたと蔵本先生。



"もしもの時"の状況は自分達が予想していたものと違う場合もあります。また考えが変わることもありますので繰り返し話をすることも大切です。



人生会議をすることで病院死が減ることもあると蔵本先生は言っていましたが「本当は家に帰りたい」という本音が人生会議をきっかけに話せたからなのではと私は思います。



在宅医療や介護の体制が整ってきたのにも関わらず、在宅死が増えていないのは家族に迷惑や負担をかけたくないという気持ちがあるからです。



また私の父のように末期がんを宣告された母を前に「何かあったらどうするのか」という大きな不安を抱えてしまい、正常な判断が出来なくなる場合もあります。



〈死〉を前にした時に父のように戸惑うのは仕方がないこと。だからこそ医療や介護の専門職の存在は非常に大きく、彼らを交えた人生会議を通じて本人は本音を、家族は不安を吐き出して下さい。



また蔵本先生は本人が全てを決めるのではなく「変えないで欲しいこと」と「委ねること」の裁量があっても良いと話していました。



実は本人と家族の想いにはズレがあることが色々な調査から明らかになっています。自分だったら自己決定したいと考えている人は8割もいますが



大切な人の決定を尊重できるかという質問に対しては「分からない」「出来ない」と多くの人が答えているのです。



我が家の場合は元々母に言語障害があり本人が細かい意思表示をすることが厳しい状況で、さらに父は頼りになりませんので全ての選択を私がしなければなりませんでした。



転移もあり手術も出来ない子宮頸がん。しかも余命は半年。母の命がかかった選択に「これで間違っていないか…」と本当に震える想いを何度もしました。



積極的な治療から緩和ケアに切り替えることも私から先生にお願いしました。また1番大きな決断は、がんが腸を握りこむように広がり排便が困難になっている母への人工肛門の手術をするかどうかでした。



主治医から「今なら出来る」と言っていただき全身麻酔やがんの憎悪などあらゆるリスクを聴いた上で、母にも図を書いて説明して家族全員が納得して手術を選択しました。



終末期を迎えた母に出来る医療は痛みの緩和とこの人工肛門の手術しかなく、日々変わりゆく母の病状に関して悪い情報も全て看護師さんと共有しながら自分達に出来るケアをしていきました。



私達に出来たことはパジャマ、シーツ、タオル、オムツなどこまめに替えるなどして清潔な環境を保つこと、髪を梳かすこと、爪を切ること、足をマッサージすること



何気ない話しをすること、毎日来てくれる訪問看護師さんにお礼に渡す飴やガムを枕元に用意しておくこと、逢わせたい人に逢ってもらうこと、私自身はアナウンサーとして笑顔で仕事をすること。



不器用なのにも関わらず弟はなんと当時お付き合いしていた彼女と、ピアノの発表会に出るというサプライズを母にプレゼントしてくれました。



それまで家族の前で1度も泣いていなかった母の目から大粒の涙がポロポロこぼれ、その涙を見てもちろん家族全員も大号泣。これが母の最期の外出になりました。



医療以外で家族に出来たことは沢山ありました。人生会議では最期に大切にしたいこと、これは言っておきたいことなど本音で話して下さい。それが後悔を少なくすることに繋がります。さて家族のいない私は誰と話そうか…それが課題ですおーっ!あせる